こんにちは。いつもは旅と自然がテーマのサイト、「しぜんfan」のPollyです。
今回は、少しばかりの私の英語圏居住経験、100%英語のみで日常生活を送ってきた経験を活かした記事を書いてみたいと思います。
中学・高校、そして大学の教養科目と、日本での英語の成績はまぁまぁ良かった私が、海外生活に挑戦してみて気付いたこと。たくさんある中でも今日は、「日本にいると陥りがちな、英語習得へのちょっとズレた目標設定」について、特に2つのポイントに絞ってご紹介いたします。
個人的な経験に基づく一意見に過ぎませんが、これから英語を習得したい、習得したいけどなかなか思うように進まないという方の参考になれば幸いです。
それでは、よろしくお願いいたします!
※私は現在アラフォーです。記事の内容は、現在の日本の英語教育システムとは若干ズレのある可能性があります点、あらかじめご了承ください。
目次
英語習得方法は、習得したい目的次第
一口に “英語習得” と言っても、英語を習得したい理由・目的は人それぞれですよね。
例えば、
- これからの時代の教養として
- なんとなく、できるとかっこいいから
- とっさに話しかけられたとき、スラスラと答えたい
- 職場で使えると仕事の幅が広がるので
- 学業・就職活動のため
- もっとコミュニケーションをとりたい相手がいる
- 英語で新聞や小説をスラスラ読んでみたい
- 字幕なしで映画を観てみたい
- 実際の留学準備
など、書き出してみるとあらためて、いろいろなシチュエーションがあるんですね。
まず前提として、これらの目的全てを満たし、“英語” という言語を丸々習得するには、実際に英語圏で生活することは必要不可欠だと私は思います。言語は文化でもあるからです。
ですが、学びたい理由や使用目的が明確であれば、日本に居ながらにして英語を習得することはもちろん可能だとも思います。
そしてそのためには、「理由・目的」と「習得方法」がマッチしているかどうかがとても重要。
もしも、とっさに話しかけられたときにスラスラと答えたいのであれば、とっさに英語で話しかけられる可能性のあるシチュエーションに身を置く必要があるでしょうし、英語のテストで高得点を取りたいのであれば、効率よく点をとる方法も学ばなければなりません。
特に英語のテストで高スコアを取りたい場合は、ある程度習得方法が絞られますので、けっこう楽なのではないかと思います。
努力すべき方向性が見えているということは、努力次第で成果が比例する可能性も高いということですからね!
難しいのは、漠然と英語を身に付けたい場合。
海外に出る前の私自身がそうでした。「英語を話せるようになりたい」「英語で生活できるレベルになりたい」。
そんな漠然とした目的でオーストラリアへのワーホリを決めたはいいものの、渡航前も中学高校と培ってきた “日本式英語学習” から抜け出せず、単語帳や問題集に沿った勉強をしていました。
それが、実際に渡航して、英語100%の世界に飛び込んでみて気付いたのは、「今までの学習法は、方向性がちょっとズレてたんかいな!」ということでした。
日本での “英語力” はあてにならない
この記事の冒頭でも少しお話ししましたが、私の日本での英語の成績はまあまあ良いほうでした。渡航前にTOEICは受けたことはありませんでしたが、センター試験では180点は取れるくらい。
初めての英語圏渡航後、6週間ほど現地の語学学校に通ったのですが、私のその “なんちゃって英語力” が災いして、いきなり上の方のクラスに入れられてしまったのです。
上の方といっても、「Upper-Intermediate」という中上級クラスでしたが、それでも英会話経験がほぼ無いに等しい私には、身の程知らずなレベル。
(学校にもよりますが、クラス分けはだいたい「elementary、pre-intermediate、intermediate、upper-intermediate、advanced」という順に上がって行きます。)
はじめのうちは、振り分けられたクラスに属して大人しくがんばっていたのですが、どうもおかしい。授業に全然ついていけない。
そこで私は先生に相談しました。
私:「先生、どうもこのクラスのレベルは、私には高すぎるようです。」
先生:「でも、君の入学時の筆記テストは素晴らし出来だったよ。大丈夫、がんばれ!」
……そこで気付いたのは、私の英語力がいかにGrammarとReadingに偏っていたかということです。ListeningとSpeaking力のなさが、クラスについていけない原因でした。
しかも、向こうの授業は「debate(ディベート)」満載。
聞き取れない、思うように話せないということに加え、日本人がいかに「自分の意見を言葉にして、お互いに論議し合う」ことに慣れていないか、ということも合わせて痛感しました。
日本人でもそれが得意な人もいるとは思いますが、文化・教育環境的には、苦手な人の方が多いのではないでしょうか。
この2点、「日本での英語学習は、文法とリーディングに偏っている」「物事について自分がどう思うかをすぐに形にできなければ、自分の意見がないと同じ」ということは、海外に出てみて痛感した大きな教訓です。
実用英語習得を妨げる、2つの「~ではない」こと
読み書きはできても、会話力や英米圏での精神年齢は赤ちゃんレベルだった私ですが、その後およそ5年間をどっぷり欧米文化の中で過ごすことで、自立して楽しく生きていけるまでに育つことができました。
当初の目的であった、「英語を話せるようになりたい」「英語で生活できるレベルになりたい」という漠然とした目標は達成したわけです。
(もちろん、ネイティブレベルにはまだまだですが…。)
英語環境に投げ込まれることが、私の目標に一番マッチした学習方法だったということかもしれません。
その後で再び日本で暮らしてみると、英語学習についての広告などを目にするにつけ思うところもあり、当時の自分の学習方法・心構えに対して突っ込みたいところもあり。
そこで以降は本題に入り、日本人が「実際に生きた英語を身に付けたい!」と頑張っている状況下で、もしかすると “見えない敵” になっているかもしれないと私が思う2点の「~ではない」ことを文字にしてみたいと思います。
ハイスコア=英語力、ではない
まず思うのは、語学力というのはテストの点数だけで測ることができるものではない、ということです。
今どきはネットやアプリの普及で、リアルタイムでネイティブと会話するスタイルの学習法も多くなっていると思いますし、英会話教室で話しながら学ぶ場合はいいんです。大正解&理想的だと思います。
しかし問題は、机に向かうタイプの勉強法です。日本ではどうも、TOEICなどの “スコアもの” が英語学習の主流になっているような気がするんです。
ハイスコアを取れば、それはもちろん英語を学べている証明になります。進学・就職・転職にも有利ですよね。
でも、それが実践でも役に立つ類の英語力かどうかは分かりません。
机に向かうだけの勉強から得られる英語力は、それだけでは本当の英語力とは言えない不完全なものであると私は思います。 食材だけたくさん買いこんで、料理の仕方が分からないまま貯めこんでいるのと同じで、時間が経つとダメになって(忘れて)しまいます。
それなら、少ない材料しか揃っていなくても、誰もが食べられる料理をいつでも確実に作れた方が強いです。おにぎりとか唐揚げとかハンバーグとか。
変なたとえ話になってしまいましたが(笑)、ここで私が主張したいのは、「難しい単語をたくさん知っていても、コミュニケーションを取ることができなければ意味がない」ということです。
スコアものを否定しているわけでは決してなく、しかし「英語を勉強すること=ハイスコアを取ること」にすり替わってしまうのはとても危険だと思うんです。危険、というか、回り道ですよね。
ですので、継続して英語を勉強している社会人の方で、受験勉強を引きずったアプローチを続けてしまっているのなら、そこから抜け出すと世界が変わるかもしれません。
良く言う、「中学レベルの英語で十分だ」という話と通じますね!
もちろん、語彙や文法をしっかり身に付けることは大事な基礎力になりますので、何事もバランスが大切、ということでしょうか。
日本人は世界的に見て、英語の基礎力は十分だったりするんです。
なので、まずは英語で話せる場を見つけて、実践もバランス良く組み込めれば最良だと思います。
ネイティブのように話せることが全てではない
ネイティブのような発音で自然に話せたならかっこいいですよね。
それが英語習得のモチベーションになっても全然いいですし、逆にそれこそが一番大きな動機になることには大賛成です。
でも、そこを目指すまでには ”通過すべきステップ” があると思います。
まずは「自分の日本人アクセントを受け入れること」と、そして、「英語はネイティブのためだけのものではなく、世界中の人と意思疎通をするためのツールであると割り切ること」です。
所詮は外国語
何を隠そう、私の当初の目標は、「ネイティブのような英語が話せるようになること」でした。そして、それが正解でもあると思い込んでいました。
日本人のアクセントはかっこ悪いと思っていて、「君の英語は日本人っぽくないね」と言われることが最高の誉め言葉でした。
でも、所詮は母語ではないのです。どうがんばっても、ネイティブの人と全く同じように発音したり、流れるような文脈だとか、体得できない部分はあり、それは至極当然。
だって、日本人だし。
年月が経つうちに、自分の英語がどう聞こえるかを気にするよりも、豊かなコミュニケーションを持てるかどうかほうが大事!という考えに変わりました。
世界共通のコミュニケーションツールとしての英語
ニュージーランド居住時、南島のクイーンズタウンという一大リゾート地で、観光に関わる仕事をしたことがあります。
山々に囲まれた湖のほとりにある、それは風光明媚な街で、バンジージャンプやスカイダイビング、ジェットボートやスキーなど、アクティビティー天国とも呼ばれるところです。
そこには世界中から観光客がやってきて、もちろん英語が母国語ではない人もたくさんいるわけです。
そんな中、みんなが共通語として使っているのが英語。拙くてもなんでも、英語を使わなければ仕事になりません。
また、日本に戻って働いた場所でも同じでした。
世界中から研修のために来日した研修員たちが数週間~数か月の間滞在する施設にいたのですが、大半はスペイン語・フランス語・ロシア語が母国語の人たちです。私がまともに話せる外国語は英語しかありませんから、お互いに英語で話すしかありません。
そこでは、細かい文法の間違いや発音のミスは問題ではありません。相手と通じ合えれば成功です。
どんなに完璧な英語で話せたとしても、相手はきっと気付いてもくれません。外国を旅するのが好きな方は「そうそう」と頷いていただけると思いますが、海外ではそんな場面の連続です。
何が一番言いたいかというと、私たちが英語を話す相手は、いつも英語ネイティブの人とは限らないということ。
英語が母国語な人は世界の中で一握りで、後は共通語として英語を使っている人たちなんです。私たちと一緒。
そんな中では、質より量。いい英語を話せるに越したことはありませんが、ネイティブレベルに及ばない英語でも、まずはどんどん話せたもん勝ちだと思いませんか。
ネイティブの人たちだって、そんな英語には慣れていますので、なんてことないです。
まずは自然に英語でコミュニケーションを取ることができるようになり、結果的に “上手な発音” が手に入れば一石二鳥、です。
話は少しずれますが、日本は “英語を話せる” 人の割合が他の国に比べて低いのではないかな、と思います。特に先進国の中で、これだけ英語力がなくても社会的に地位を持てる国は他にはないのでしょうか。
その、英語を話せる度合いの低さが、日本人特有の謙虚さや完璧主義さからきているのであれば、もったいないことだと思います。
まずは、伝わりさえすれば上等と割り切って、どんどん英語を使ってみる。英語なんてただのツールだ、という意識に変われば、日本に漂うこの不思議な “英語学習へのハードルの高さ” もなくなっていくのではないかな、と個人的には感じています。
まとめ
以上、「日本にいると気付きづらい、英語習得への盲点」について、個人的意見を書き綴ってみました。
長くなりましたので、要点を以下にまとめてみます。
- 「英語を習得したい理由・目的」と「習得方法」がマッチしているかどうかがとても重要
- 日本での英語学習は、文法とリーディングに偏りがち
- 「英語を勉強すること=ハイスコアを取ること」ではない!
- ネイティブのように話せることが目標ではない。日本人アクセント上等!
- 英語は世界中の人々と意思疎通するためのツールであり、第一目標はコミュニケーションを取ること
いろいろごちゃごちゃ書きましたが、なんだかんだ言っても一番大事なのはハートです!
相手と通じ合いたいというハートと、失敗しても次に生かす強いハート。それが、使える英語を身に付けるための一番の特効薬だと思います☺
最後は精神論みたいになってしまいましたが(笑)、この記事が、お読み下さった方々のさらなる英語力の発展に、心の片隅ででもお役立ていただければ嬉しいです。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました!
それでは☺ Polly