【新型コロナ】不要不急の外出や地域間移動への批判に思うこと

当記事は2020年4月10日に書いたものです。記事執筆当時と今と、多少状況が変わっておりますこと、ご理解の上でお読みいただけると幸いです。(2020.4.25)

こんにちは。福岡市在住の一般人ブロガー、Pollyと申します。世界中が「新型コロナ」によって日常を奪われていますが、そんな中、いかがお過ごしでしょうか。

青い空、黄色やピンクの花々、明るい新緑……春の“出かけたい感”は、誰にとっても絶大なるものだと思います。ゆえに、この季節の「外出自粛」は本当に辛いものですよね。

それだけではなく、入学式、入社式、転勤、新学期、新年度と、人生や仕事の区切りとしても重要な春ですから、不安でいっぱいの「新○○」となってしまった方も多くいらっしゃることと思います。

どこにも行けない、おちおち人にも会えない、生活自体の先行きも不安…。

逆に、不安な中にも出かけなければならない事情があり、「外出できない」のとはまた違ったストレスを抱えている人も少なくないのかもしれません。

とにかく、誰もが我慢しながら生活しているのが、今のこの現状。

そんな状況から、社会全体の思考の柔軟性、多様性を受け入れる想像力のようなものまでもがどんどん低下していっているような気がしてなりません。

感染拡大防止のための種々の「規制」の表面だけに捉われてしまっては、偏った認識で誰かの自由や権利を奪ったり、心ない攻撃や批判に繋がる可能性があるのではないか

人それぞれに異なる立場やコンディションを、一部を全部に当てはめるように全て同じカゴに入れてしまっては、必ずや不平等さや歪みが生じるのではないか

そんなようなことをぼんやりと考えていたところ、「長距離ドライバーとして働く親を持つ子どもが入学式に参加できなかった」というニュースが聞こえてきました。

その他にも、「荷物を届けてくれた配送業者に除菌スプレーを吹きかけ、荷物も汚いものを持つような手つきで受け取る人」、「“コロナ疎開”は誤った認識である、地方移動は控えてほしいと某県知事が発言」、「密を避けられず、休業もできない職場は困惑」などなど。

いろんな意味で「う~ん…」と唸ってしまうような話の数々に、今思うところを書き綴ってみようと思い立った次第です。

しがない一個人の独り言にはなりますが、同じようにモヤモヤしている人にとって、何かしらの思索の場となることができれば幸いです。



家を一歩出れば、リスクはみな同じ

このコロナ危機について思うところは人それぞれ、かなり多岐に渡るのではないかと思います。

私が特に引っかかっているのは、「外出地域間移動に関わることについてですので、当記事ではそのあたりについて私の意見を書き綴ってみようと思います。

私事で恐縮ですが、私の趣味は「自然観光地めぐり」と「風景写真撮影」。県内外を問わず自然景勝地へ出かけては、自分の見聞きした経験を少しでも活かすべく、当サイトでの情報編集&記事作成をライフワークとしています。

ところが、そこに立ちはだかるのがこの「新型コロナウイルス」。

私の住む福岡県では2日前の4月8日(水)、東京都や大阪府とともに「緊急事態宣言」が発出され、どうにも自由に外出できない(すべきでない)状況となってしまいました。

これは辛い…。

もちろん感染拡大防止のための「不要不急の外出自粛」であり「地域間移動自粛」なわけで、確かに人が出歩くことが多いほど、拡散のリスクも増えるわけです。リスクはどこにでもあり、自分でコントロールできる範囲には限界があります。

そういう意味で「外出自粛」「地域間移動自粛」は尤もなことであり、十分に理解できるもの。

しかし一方で、「散歩はOK」「スーパーへの買い物、病院、通勤、登園など生活を維持するうえでやむを得ないものはOK」「電車もバスも運行OK」なわけです。

これがちょっと、個人的にはモヤモヤするところだったりします。

例えば私が自家用車で隣県の山中に直行し、人知れず風景写真を撮るのと、近所の公園に散歩がてら花見に行って何人もの人とすれ違うのと、リスクはどう変わるだろうか。

お店で買い物するにも、一度触った商品を棚に戻すこともあるでしょうし、当然、誰が触ったとも知れない商品を購入して持ち帰ることもあるわけです。

そういったことを認識せずに過ごせば、「必要な外出が感染拡大に繋がってしまうことも十分に考えられるわけで。

さらに言えば、マスクを顎にずらして電車通勤しているサラリーマンがいたとしても、世間の厳しい目が向けられるのはやはり、しっかりマスクをした上で「不要不急の外出」をしている人なのでしょうか。

理由は何であれ、家を一歩でも出れば、誰でも条件は同じ。「あの理由ではダメ、この用事ならOK」と上辺で区別する前に、それを押さえて行動することがまず大事なのではないかと思います。

それぞれの立場・環境を思いやる余裕

また、地域間を行き来する長距離ドライバーさんや宅配業者さんへの世間の認識(ある情報番組によると“差別”)も、メディアで言われている通りのことが本当に起きているのであれば、とても悲しいことです。

マスク着用・手洗い・除菌に努めながら物流を支える配送業の方々が、世間に対して肩身の狭い思いをせねばならない理由とは?

親が長距離ドライバーだからといって子供の登校する権利を制限する前に、その家族の健康状態のヒアリングは行ったのでしょうか。可能性だけで個別に登校させないくらいなら、むしろ、生徒全員登校させないほうが良かったのでは?

宅配への対応だって、配達員や荷物にウィルスが付着していないかどうか心配ならば、マスク着用の上で「届けてくれてありがとう」とにっこり受け取った後、こっそり手を洗えばいいじゃありませんか。

とまあ考え出すと切りがありませんが、とにかく、避けるべきは感染拡大に繋がる恐れのある行動=人や物への接触なのであって、外出移動はその可能性を有する行動の一つに過ぎないはず。

外出や移動をしなくても、自分が何か他の“感染拡大に繋がる恐れのある行動”をしている可能性もあるわけですし、逆に、外出や移動をしているからといって即「危険」と言い切ることもできないのではないかと思うのです。

その人を取り巻く環境や心がけによって“危険度”“安全度”はいくらでも変わるものだと思いますし、上辺のことだけに捉われずに、それぞれの立場を思いやりつつ柔軟に対応していく余裕も必要なのではないでしょうか。

※どんな立場や状況でも、「体調が悪い人」はただただ危険ですけど…



“コロナ疎開”の是非

感染者の急増している都市部にすむ人々が、感染者ゼロ、もしくは感染者の少ない県へ“避難”することを俗に「コロナ疎開」と言うようですね。

先日、とある感染者ゼロ県の知事さんが「コロナ疎開は誤った考え。来るなとは言えないが、よく考えて行動してほしい」というような主旨の発言をされました。

新聞やネット記事ニュースの見出しにも「コロナ疎開、地方困惑」というような見出しを見かけました。

これは実質、「来られると迷惑だ」ということでしょう。そしてこれは、純粋な観光愛好者にはとても悲しい三行半(みくだりはん)”…。

自分の県を守りたい気持ちはよく分かりますし、その発言を非難するつもりはありません。医療機関のことなど、前もって考慮すべき問題ももちろんあるでしょう。

しかし一方で、鹿児島県指宿市のように、「アロハシャツで明るく観光客をお出迎え」という毎年恒例の行事をブレずに行っている自治体もあるのです。

疑わしき余所者は来るな、とブロックしたところで、自分の県民が他県でウィルスをもらってくるかもしれないし、それこそ「家を一歩出ればリスクはみな同じ」。

それならば、「県外から観光に来られる方は、これだけは守って下さい」というようなルールをしっかりと掲げた上で、「どうぞリフレッシュしていって下さいね」くらいの気持ちでオープンにしてしまった方が得策なのではないかと思うんです。

人が来ることで確実にお金は落ちますし、クリーンなイメージや懐の深さが収束後も人々の印象に残り、今後の観光振興にも大いに役立つのではないかと。

もちろんこれはただの素人考えで、実際はそう簡単なことではなく、特に緊急事態宣言の出ている地域との往来は可能な限り避けるべきことなのでしょう。

しかし、旅行好きの一個人としては、認識を正しく持った上で来る人、ここ2週間の行動から感染の恐れのとても少ない人については歓迎してほしいなぁと思うわけです。

このような「疑わしきは全て排除」という姿勢もまた、社会全体としての思考力の低下に繋がることなのではないかと感じます。

しかし、誰も「自分は疑わしくないです」と即座に証明できることができない以上、やはり“コロナ疎開”はやめておくのが正解と言わざるを得ませんね…。

大事なのは、思考力と想像力

2020年4月10日現在で、緊急事態宣言の発出された地域の住民が守るべきことは主に「密閉、密集、密接の”三つの密”の回避」、「外出自粛」、「人との接触を7~8割削減」の3つです。

それ以外の地域も、“三つの密”は回避するように求められています。

どうしても個人の判断や良識に委ねられるところも大きいですが、大切なのは、なぜこれらを守るべきなのかの本質を理解した上で、個人個人想像力責任感を持って、自分の頭で考えて行動すること、ではないでしょうか。

(その点、理解力・判断力の十分に育っていない小さなお子さんを持つご家庭は、本当に大変な毎日を過ごしておられることと思います…)

もし自分が罹ったら誰にも危険が及ぶのか、誰に迷惑がかかるのか…

もし自分が無自覚に感染していたら、どんな行動は控えるべきなのか…

もしこの表面にウイルスが付いていたら、どう対処すべきか…

それぞれの状況や立場の中で、出来る限り気を付けて日々行動していれば、仮に政府からの要請に沿えない出来事の一つや二つ起きてしまっても、必要以上に後ろめたさや罪悪感を感じる必要もないのではないかと思います。

どんなに気を付けていても、罹ってしまうときは罹ってしまうものだと思いますし、何よりも感染してしまった人が心穏やかに療養できるように。

そもそも問題なのはウイルス」ですからね。人間同士が敵になることなく、できるだけ早く終息することを願っています。

プロ野球がない毎日なんて、寂しすぎますから…

しかし、何かができなくなったということは、代わりにできることが何かあるということ。この状況を逆手にとって、アフターコロナに向けていい時間を過ごしていきましょうね☺

以上、ただの私の至らない意見でしたが、最後までお読みいただき、どうもありがとうございました!

それではまた。Polly

2020.5.2追記

当記事は2020年4月10日に書いたものですが、その後、4月16日には緊急事態宣言が全国に広がり、今では無症状感染者の割合も予想より多いのではないかと言われています。

いよいよ外出自粛の必要性が高まったわけですが、偏った世論に必要以上に踊らされることなく、問題の本質を見失わずに過ごしていきたいものです。

例えば、「感染が広がるのを防ぐために、人が地域移動することを規制するということが、ただ地域移動は許せないという盲目的なネガティブなものにすり替わっていないか

社会全体が一呼吸おいて現状を振り返ってみることも、ときには大事なのではないかと思います。(2020.4.25)