北海道の富良野を大々的に巻き込んで生まれた、あの伝説のドラマシリーズの魅力とは?
こんにちは。元北海道民・現福岡市民のアラフォー女子、「しぜんfan」のPollyです。
元道民と言っても、北海道に住んでいたのは大人になってからの3年半だけで、20代後半まではずっと九州管内で過ごしました。なので、多くの“内地”の人と同じく「北海道という土地への憧れ」を持って育った側の人間です。
人々がいつからそんなに北海道に憧れるようになったのか、私にははっきりとは分かりませんが、おそらく高度経済成長に伴う昭和中期の観光ブームからなのではないでしょうか。
サブちゃんの『函館の女』(1965)、加藤登紀子さんの歌う『知床旅情』(1970)、森進一さんの『襟裳岬』(1974)などが大ヒットを飛ばし、映画では『幸福の黄色いハンカチ』(1977)、『キタキツネ物語』(1978)、『南極物語』(1983)、『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)などが同じく大ヒット。
その他にも、「ムツゴロウの動物王国」がテレビ番組で定期的に取り上げられたり、「北海道はでっかいどう」というフレーズが流行ったり…
北海道の大自然への憧れは、確固たるものになりました。
そんな中忘れてはならないのが、『北の国から』ですよね! 詳しいストーリーは知らなくても、誰もがそのタイトルくらいは知っているという、伝説の国民的ドラマシリーズ。
一体いつからいつまで放送されていたんだ? と疑問に思ってしまうほどの大作ですが、第1話の放送は、1981年秋のことでした。
まずは半年間のドラマシリーズとして全24話が放送され、その後も1~3年おきにスペシャルドラマ版は続いていき、ついに幕引きとなったのが2002年の『遺言』。
その間、なんと21年間。
なにがすごいって、その21年間、同じ役者さんたちが演じ続けたということです。子役たちの成長ぶりはもちろんのこと、登場人物の一人一人に時の流れを重ね合わせることができ、もうほとんどドキュメンタリー作品です。
それがさらに「富良野」という実在する土地に寄り添って描かれているため、リアリティが半端ないんですよね!
富良野に行けば、今でもみんながそこに暮らしているような気分にさせられる、いい意味でとってもクレイジーなドラマ。さだまさしさんの歌声が脳内に流れてヤバいのなんの。
私が全話をまともに観たのはもうずいぶん大人になってから、それこそ北海道居住時だったのですが、本当にいいドラマですよねぇ。
俳優陣の演技も素晴らしいですし、セットの作り込み具合、全体に漂う生活感、美しい四季の移り変わり、北国の暮らしの厳しさ、登場人物を次々に襲う無常ぶり、田舎で暮らす人々の共同体としての連帯感や責任。どれもとことんリアルです。
そして、視聴者がそんな世界に無理なく入り込めていけるのも、シリーズ開始時点では“田舎ビギナー”、“富良野ビギナー”だった純と蛍、そして雪子おばさんのおかげ。
このあたりは、脚本家の倉本聰さん自身が富良野に惚れ込んで大都会から移住してきた人だからこそ描けた部分でもあるのでしょう。
また、冬にはマイナス20℃になるような開拓地が舞台であるからこそ、そして、社会に様々な変化が生まれた昭和の時代に作られたからこそ、ここまでずっしりとしたドラマになったのかもしれません。
しかし、時代が昭和から平成、令和へと移り変わっても、人間の暮らしや世の中の本質は変わらないもの。
『北の国から』には、時代を超えた魅力や、伝えたいメッセージがあると思います。だから今でも人々の心に、鮮やかに届き続けるのだと思います。
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ではその魅力って、メッセージって、何なんでしょうか。
私がこのドラマの軸となっていると感じるのは、一番はやっぱり「自然に寄り添った暮らし」と、その中を流れていく「生身の喜怒哀楽」です。
五郎さん(田中邦衛さん)が麓郷での暮らしを通して子どもたちに教えたかったこと、「自然の中で心豊かに逞しく生きる」ということが、回を追うごとに私たち視聴者へもじわじわと伝わり、心の奥底で眠る「自然回帰」への渇望がくすぐられる感じがします。
そしてそれこそがこの作品の放つ一番の魅力である、と私は感じます。
「自然」が「いつでも優しく受け止めてくれ、生かしてくれる存在」なだけではなく、「ときには厳しく、人の命を奪うもの」であることをしっかり描いているあたりもいいですね。
また、「金稼ぐだけが仕事じゃねぇ」というトド(『遺言』の登場人物)の言葉にも、私は大いに共感。
何かしら意味のあることに一生懸命取り組んでいて、それが誰かの役に立ったりもして、自分の暮らしを最低限成り立たせることもできていて、自分の満足感や幸せにも繋がっているのなら、“稼ぎ”は問題ではないと思うからです。
もちろんそれは理想論であり、文明の中で生きるにはお金は要ります。病気になったときなど、有事に備えてある程度のお金を貯めておく必要も、現実的にはあるでしょう。(実際に五郎さんは、急に東京に出なければならない状況になったとき、飛行機に乗るお金がなくて苦労したりもしています。)
しかしそれでも、「五郎さんのように生きたいなぁ」と思わずにはいられないのです。地位や名誉、お金に重きを置かない生き方。それは、この現代にあっては、とても強い生き方。
なにしろ、畑に放置された“ハネモノ”のニンジンを、恥ずかしげもなく嬉々として拾っちゃうような人ですからね。「捨ててあるんだから」って、廃材で家まで建ててしまいます。
かっこよすぎです。
しかし、「田舎」だからこそ“ロマンチックな生き方”に映ることも、「都会」ならどうでしょうか。実現できるでしょうか。世間に受け入れられるでしょうか。
この「田舎」と「都会」の対比というのも、『北の国から』が持つテーマのひとつですよね。
ものを大事にする田舎の生活、ものをどんどん捨てる都会の生活。人との繋がりが強い田舎、希薄な都会。自然に生かされている田舎、自然とは切り離され、何をするにもお金がかかる都会。
国が豊かになり、テクノロジーが発達するにつれて、そんな都会の波は、田舎にもじわじわと押し寄せてきます。
その波に抗うかのように生きるのが黒板五郎さんであり、『北の国から』なのです。
なぜこんなに五郎さんの生き方に憧れるのか――それは、五郎さんの生き方が、人間の暮らしの原点だから。田舎と都会のどちらが正しいというのは置いといても、多くの人が心の奥で、田舎サイドの生き方を欲しているからではないでしょうか。
また、「子の成長」や「子を思う親の心」というのも、この物語の重要な軸となっています。まるで田舎と都会を繋ぐ架け橋のように、根底にずっと在り続けたテーマです。
五郎さんだけでなく、令子さん(いしだあゆみさん)、タマコのおじさん(菅原文太さん)、雪子おばさん(竹下景子さん)、トド(唐十郎さん)、そして蛍(中嶋朋子さん)。「子の親」の姿が、いつもあります。
制作者が男性だからかもしれませんが、特に「父と息子」の描き方は別格だったと感じました。
子どもの頃からお父さんの生き方を「嫌だ、恥ずかしい」と感じてきた、都会育ちの息子・純くん(吉岡秀隆さん)。それが、年月が経つにつれて「父さん、あなたは素敵です」と思うようになったわけで。
息子が父の生き方を理解し、称える―。
私は女子なので完全に共感することはできないのですが、それってすごい感動ものですよね?
純がどういう生き方を選んでいくにせよ、五郎さんの「北の大地を巻き込んだ壮大な子育て」は成功したというわけです。そして私たちはその「子育て」に、21年間分も巻き込まれたのです。
そりゃあ達成感もあるってもんですよ。
他にも『北の国から』の魅力を探せばまだまだ尽きず、そこかしこで聞こえてくる北海道弁の響きや、北の大地に生息する野生動物たちの姿、色彩豊かで大きな自然風景などもそうですよね。
本州人にとっては、「北海道という土地への憧れ」をうまく突っついてくるところこそ、このドラマの最大の魅力なのかもしれません。
私は最近このドラマを母と観たのですが、昭和20年代生まれの母にとって、特に初期の作品あたりには懐かしい時代の記憶を呼び起こす効果もあるらしく、かなり楽しんで視聴していました。
例えば、年末の商店街の様子とか、黒電話の大きな受話器とか、車のナンバープレートに付いた「しめ縄」とか、BGMに流れる歌謡曲とか。
出演者の字幕の中にも私は知らないような昔の俳優さんの名前を見つけては、なんやかんや言ってましたよ。
劇中の衣装や小道具、言葉遣いなどから昔を思い出すことができる点、既に世を去った役者さんたちと会えるという点、純や蛍の成長を追うことができる点も、懐かしい写真アルバムを見るような気分にさせてくれます。
とにかく、いろんな意味で、日々の生活に追われる現代人の心に一石を投じるような作品だと思います。
例え都会に住んでいても、五郎さんの精神を持って暮らしたい。
『北の国から』、フォーエバー!