私の海外生活を助けてくれたQUEENの音楽

はじめまして! 現福岡市民・元国際人のアラフォー女子、Pollyと申します。

この記事で何についてお話しするかというと、タイトルにもある通り、もちろん伝説のブリティッシュ・ロックバンドクイーンについてです。

言わずもがな、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットにより、世界中からその音楽の魅力や存在が再注目されているところですよね。

ここで私事ですが、私は高校生の頃に彼らにどハマりし、以降10年以上の間、「私にとって音楽の神様はフレディ」と豪語するほどに敬愛していました。LGBTの方々の抱える辛さやエイズという病についてリアルに捉えることができるようになったのも、フレディの生涯を知ったことがきっかけでした。

アラフォーになった今(2019年末)、音楽自体にそこまで魂を注ぐこともなくなってしまいましたが、今でも「QUEEN」が私にとって特別な存在であることに変わりはなく、クイーンフィーバーに湧く世間をちょっと離れたところから眺めながら、いろいろ感慨に耽ったりしているわけであります。

中でも今日は、およそ10年前の私自身の海外生活での経験を振り返りながら、イギリス文化圏の人々にとってのQUEENの存在、について感じたことを書き綴ってみようと思い立ちました。

しがない一個人の経験談ではありますが、よろしければどうぞお付き合いくださいませ。



クイーンフィーバーを肌で感じた一件

私が今のこの “クイーンフィーバー” を直接感じたのは、今年(2019年)春、久々に福岡の実家に戻って来、自室の荷物整理を兼ねてメルカリで断捨離をしているときでした。

20年以上前に買って、当時は宝物のように大切にしていた『クイーン 果てしなき伝説』というハードカバーの本を、思い切って出品したところ…

ものの1分と経たないうちに購入されたのです。

出品価格は送料込みの1,000円。古本だし…と思ってこの値段で出したのですが、もしかすると激安だったのかもしれません。

しかも、ご購入いただいた方からは、「他にも何か関連商品はお持ちではありませんか!?」とのメッセージ。(その節は、どうもありがとうございました☺)

残念ながら私は、クイーンのグッズにそんなに需要が高まることになるとは思っていなかったため、ポスターとか写真カードとか、当時集めていたものは既に捨ててしまっていたのですが、1分以内に出品商品が売れたことは後にも先にもこの時だけ

落札後も他の方から反応いただいたりもして、とにかく「こんなにかぁ!」とびっくりしたのでした。

当時の私のハマり具合

高校生当時、私がどれだけクイーンが好きだったかというと、こんな感じです。

  • 通学時はウォークマンでいつもクイーン
  • BSのクイーン関連番組は全てビデオ録画、テープが擦り切れるくらい夜な夜な視聴
  • お小遣いを貯めてはCDを一枚ずつ購入
  • メンバーの生年月日は空で言えた
  • バンドの写真をもとに、絵を描いたりもしていた
  • 部屋にはクイーンのポスター
  • 好きな曲は歌詞カードを見ずにほぼ完ぺきに歌えた

軽くオタクですね(笑)

当時はフレディの没後4年だか5年だかで、BSでライブや特番などが放送されることも多くなっていた時期なんだと思います。

追悼イベントでのジョージ・マイケルの素晴らしいパフォーマンス、特に『Somebody to Love』のシーンは、何回見返したか分かりません。

あまりに熱中する私を母は静観してくれていましたが、フレディのことだけは「タイツのヒゲおじさん」と揶揄していましたね(笑)

クイーンを好きになったきっかけ

そもそも何で私がそんなにクイーンを好きになったかというと、高校生当時、友人のお姉ちゃんの友人(大学生)の車の中で流れていた『Seaside Rendezvousシーサイド・ランデヴー)』に一耳惚れしたことがきっかけでした。

(別にこの大学生と何もやましいことがあったわけでなく、ただ友人とともに乗り合わせただけです。)

あのメロディとフレディの伸びのある甘い声がすごく印象的で、「この曲なんですか?」と聞いたところ、クイーンというバンドの曲だということが分かりました。

さっそくCD店で「Q」の棚の前に立ち、同曲が収録されている『A Night At The Operaオペラ座の夜)』というCDを探し当て、購入。

そして、前章の “どハマり” に繋がっていったというわけです。

20年以上前に買った『オペラ座の夜』

海外生活の中で感じたクイーン

前置きが長くなってしまいました。(私事ばかりで、大変失礼しました。)

ここからが本題です。

クイーンと、その少し後にもハマったビートルズその他数々の洋楽のおかげで「英語」への多大なる免疫ができた私は、28歳の頃(2009年)、オーストラリアへとワーホリへ出かけました。

以降、約5年間に渡ってオーストラリア・ニュージーランドに暮らし、現地の友人だけでなく、生粋のイギリス人という友人たち・パートナーとも多くの時間を過ごしましたが、暗記して自分の一部となっていたクイーンの存在が、ずっと自信を与えてくれていたような気がします。

英国文化に生きる人々と自分との懸け橋のように感じでいたんですね。

ここではそんな経験をいくつか振り返ってピックアップしてみたいと思います。



メルボルン生活時

渡航して2~3ヶ月、私の英語でのコミュニケーション能力は大変乏しいものでした。

英語には自信があったのですが、それはあくまでも「日本」という非英語圏での環境でしか通用しない、非実用的なものに過ぎなかったことを痛感する日々。

そんな中、それでも生の英語に触れること、それらを習得していくことを大いに楽しんでいた私が選んだ生活環境は、ネイティブもしくは同等レベルの英語力の人ばかりが暮らす “バックパッカーズ” でした。ユースホステルよりももっとワイルドな感じの安宿ですね。

世界中の旅行者が集まる場所でありつつ、適当にバイトをしながら長期滞在をしている人も多く、特に多かったのはUK・アイルランド勢でした。その他、ヨーロッパ系。

主に10代後半から20代前半の若者向けの場所ですので、キッチンなどの共同スペースではいつもガンガンに音楽が流れ、一階にはバーもあり、ちょっと歩けばナイトクラブもあり、酒と音楽漬けの日々です(笑)

メルボルンの街並み
ホステルの共有スペース

そういう場所で流れる曲は、最近の流行りのものから “Classics” と呼ばれる鉄板ものまで、本当に様々。(※日本でいう ”クラシック音楽” は英語では “Classical Music” と呼ばれ、これとは別物であることが多いです。)

クイーンの曲も、『Bohemian Rhapsody』や『We Are The Champions』をはじめ、『Bicycle Race』『Flash』など、けっこう流れる頻度は高かったと記憶しています。

例えばキッチンで料理をしていて、自分が歌える曲が流れると、私は熱唱。居合わせた人もすぐさま「いいね!」という顔付きになって、一緒に合唱。このとき、ニンジンがマイクになったりします。

同じくバー(パブ)でも、熱唱。すると、一気に人々との距離が縮まるんですよね。日本でこれをやると、少なくとも当時は “洋楽かぶれのイタイ奴” ですけど、向こうでは “ノリのいい奴”。

初めての欧米文化の中で、しかも赤ちゃんばりの英語力で、幸いにもその環境に溶け込んで楽しく生活できていたのは、何を隠そう「音楽」のおかげだったように思います。

まさに “音楽は国境を越える” 状態です。

しかしここで私が主に伝えたいのは、何よりもまず、「未だにクイーンの曲はClassic Rockの中では絶大」で、「英米人なら誰もが知っていて、かつ歌える」ということです。フレディの病気のことなどについても、広く知られていました。

そして、「好きなミュージシャンは?」という話題になったときに、「私はクイーン!」と答えても、「うんうん、彼らは偉大だよね~」と会話が進んでいく世界の素晴らしいこと。

フレディーの声が好き、ブライアンのギターってかっこいい、ロジャーの声って高いよね、ベースって目立たないけどフルネーム言える?、あの曲は書いたのブライアンなんだよね、という会話も、日本よりも格段に通じます。

私がこれらのことを体感したのは10年も前のことですが、今でも変わっていないと思います。

英語圏での「QUEEN」は、確かに “一昔前のバンド” に違いはありませんが、一時的なブームで盛り上がっただけの存在というわけではなく、当然ながら “外国の音楽だからかっこいい” という変なフィルターなどもかかっておらず、文化や音楽史の中に自然としっかりと根付いている存在なんですね。

そして、何十年経っても聴かれ続ける音楽

私にとっては、長年のクイーン好きが “役に立った”、貴重な経験にもなりました。

タスマニア生活時

こちらも、基本的にはメルボルンでの経験と同じです。

タスマニア島で1カ月ほどファームステイをしたのですが、その家のお母さん(オーストラリア人)がまた、「クイーン大好き!」という方でした。

そうなると、もちろん意気投合です。

食後にソファーに座って一緒にライブビデオを見たり、お茶しながらCDを聴いたり、どの曲が好きか、この歌詞の意味は、と、話にも花が咲きます。(お父さんの方は「よくやるわ…」と半ば飽きれ顔でしたが。)

ホームステイの経験のある方ならばお分かりかと思いますが、他人の家庭に他人が混ざる、というのは、独特な体験なんですよね。お互いにそれが苦じゃないからやってるとは言え、それなりに気も使いますし。

そんな中、再びクイーンが懸け橋になってくれたのでした。

そしてここでも、英米人の生活の中に生き続けるQUEEN」を見ることができました。

その後も…

その後で数年暮らしたニュージーランドでも、同じようなことは続いていきました。

次第にバーやラジオでクイーンの曲が流れることへの感動も薄れ、居合わせた友人やパートナーと共に、曲に合わせて口ずさむことも日常茶飯事。(私の知る限りでは、イギリス人男子なら皆ビートルズ、クイーン、ピストルズ、ラモーンズあたりは普通に歌えます。)

日本でも、ビールのCMで起用された『I Was Born To Love You』が根強い人気を誇ったり、ナイナイの岡村がCMで踊った『Don’t Stop Me Now』をきっかけにクイーンの曲への認知度が上がったり、彼らがリアルタイムで活躍していた頃を知らない世代へも、着々と浸透していってきましたよね。

そんな中、この映画の大ヒット。彼らは正真正銘の殿堂入りスーパースターになりました。

あの映画は私にとっては特に目新しい内容ではなく、このフィーバーに関しても、敢えて生意気風に言わせていただけば「何をいまさら…」な面もあるのですが、それでもこれだけの人々の心に響くことができたというのは、やはり「クイーン」が特別だから。

ラミ・マレックをはじめとする俳優陣の演技、フレディの半生やバンドの舞台裏を通して何かを伝えたかった制作陣の想いなどが、見事に大成功を収めました。

映画鑑賞後に私の英国人パートナー(ギリアラサー)が、「フレディの人種のこと、当時は大変だったみたいよ。イギリスはやっぱ人種差別とか酷かったから…」と言っていたのがとても印象に残っています。

私なんかがここでわざわざ言うことでもないですが、映画『ボヘミアン・ラプソディー』は、人種差別、LGBTへの無理解など、現代の大きな社会問題を内包していることが、世間に高く評価された大きな一因なんですよね。

敢えて感傷的になるならば、フレディもきっと天国で

The show must go on, and I still love you. Thank you all !

と言っているに違いありません。

おわりに―クイーンの音楽は世界を繋ぐ

ここまでのお話は、ただの一個人の経験をもとにした “クイーン談” に過ぎませんが、なんとなくでも英米文化圏の生活の中のQUEENの存在を感じていただけたでしょうか。

向こうでは、時代ごとの音楽の変化が日本ほど大きくなく、例えば年配の方でも最近のポップミュージックに合わせて踊ったり、逆に若者が70年代、80年代の曲を普段から聞いていたり、世代間の壁も低いように私には感じられました。

そういった背景も、クイーンに限らず往年の名曲が生活の中に生き続ける一つの理由なのかもしれません。

そんなわけで、クイーンを歌えれば、誰とでも友達になれる」、そんな世界って素晴らしい、とあたらめて感じた今回の記事作成となりました。

これから海外留学やワーホリに旅立つ皆さん、クイーンに限らず有名どころの洋楽を歌い込んでから出発すると、思いがけずに助けになるかもしれませんよ!

以上、最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

それではまた! Polly