当記事は2019年9月に初回作成し、以降、少しづつ情報更新・追記を加えているものです。(最新追記日:2020.11.25)
こんにちは、自然観光がテーマのサイト「しぜんfan」のPollyです。
今回はちょっと趣向を変えて、私が近年多大なる興味を持ち始めたプロ野球についての話題です。
…プロ野球。
3年前まで全くと言っていいほど興味がありませんでした。セリーグ? パリーグ? え、ホークスってどっち? というレベル。(私は福岡出身です)
夜のゴールデンタイムに野球中継があると「チッ、今日は野球かぁ~」と呟き、スポーツニュースが始まるとチャンネルを変え、 もちろん試合をまともに見たこともなく。
それが今、40歳を目前にして、パ・リーグならだいたいの順位やゲーム差を空で言えるほどの熱中ぶりです。
野球中継のない日や試合のない月曜日は、「今日野球ないのかぁ、つなんないなぁ」と呟くほどに、野球観戦の楽しさを知ったのでした。(なぜ急に、というところは後述。)
しかし、まだまだファン歴ひよっこの私には分からないことだらけ。ルールやテクニック的なことはもちろん、日本プロ野球界の歴史もよく知りません。
そこで、もっと知ってもっとプロ野球を楽しもう! ということで、ここのところ気になっている“パ・リーグ各球団の歴史”について自習してみようと思います!
同じようなことを調べている方に、何かしら少しでもお役に立てれば嬉しい限りです☺
記事内のチームの並びは私の関心のある順となっておりますこと、何卒ご了承くださいませ。お目当てのチームのある方は、下の「目次」をご活用ください。
では、いってみましょう!
- 記事内の球団情報は、各球団ホームページおよびWikipediaを参照して作成しました。
- 記事内の各球団エンブレムは、「ローチケ」のウェブサイトより引用させていただきました。
目次
北海道日本ハムファイターズ
まずは、私がプロ野球好きになったきっかけ、ファイターズ!
福岡出身なのになぜホークスではなくファイターズなのかというと、2015年秋から3年半、北海道に住んでいたころに野球観戦に目覚めたからです。
そのころの北海道は、大谷翔平の活躍、2016年の日本一達成と、ファイターズフィーバーで大盛り上がりでした。地元の “ファイターズ愛” も留まるところを知らず、私がよく聞いていたラジオ局でも「熱烈応援!」「今日のファイターズ!」など、ファイターズ情報満載。
何気なくそれらを聞いているうちに自然と選手の名前を憶え、これまた何気なく応募した札幌ドームの無料観戦チケットが当選。予習のために何度か試合を見るうちに、ラジオとの相乗効果もあって段々と楽しくなりはじめ、ドーム観戦が決定打になりました。あれよれよ、ってやつです。
食わず嫌いをしないでちゃんと試合を見れば、野球って流れやドラマがあって面白い! 毎日のように顔を見るうちに、選手たちに親しみも湧いてきます。
ホームランが出たときに流れるサンバ調の『北の国から』と、ジンギスカンの曲で応援するとき、区切りのところでバッター名を叫ぶのが好きです。
北海道では「ファイターズ」と呼んでいたのに、外ではわりと「ハム」と呼ばれているのが少なからずショック。「ハム」って…。まあ呼びやすくていいですけど。
球団情報(2019年10月23日現在)
運営会社名 | 株式会社 北海道日本ハムファイターズ |
本拠地 | 札幌ドーム(北海道札幌市豊平区) |
二軍本拠地 | ファイターズ鎌ヶ谷スタジアム(千葉県鎌ケ谷市) |
マスコット | B☆B(ブリスキー・ザ・ベアー)、C☆B(カビー・ザ・ベアー)、ポリーポラリス、フレップ・ザ・フォックス |
チーム応援歌 | ファイターズ讃歌(歌い出し:「誰が鳴らすかあの鐘を」) |
監督 | 栗山英樹(2012~) |
リーグ優勝 | 7回(1962年、1981年、2006年、2007年、2009年、2012年、2016年) |
クライマックスシリーズ優勝 | 4回(2007年、2009年、2012年、2016年) |
日本一 | 3回(1962年、2006年、2016年) |
運営母体 | 日本ハム株式会社 |
※優勝や日本一の実績は、前身球団時のものも含みます。
球団変遷
1946年 セネタース
- 経営母体:横沢三郎氏
- 運営会社名:セネタース野球協会
- 本拠地:関東
戦前(1935年)に発足し、戦時中・1943年に解散した球団「東京セネタース」の中心人物だった横沢氏が個人で発足。
1947年 東急フライヤーズ
- 経営母体:東京急行電鉄(東急)
- 運営会社名:株式会社東急ベースボール倶楽部
- 本拠地:関東
資金不足で経営が立ち行かなくなった「セネタース」を東急が買収。球団名も一新します。
1948年 急映フライヤーズ
- 経営母体:東急と大映野球との共同経営
- 運営会社名:東急大映野球
- 本拠地:後楽園球場(東京都文京区)
1948年のみ経営に「大映野球」が参加し、チーム名も1年だけ「急映フライヤーズ」に。また、この年から「フランチャイズ制」(本拠地制)が試験導入され、「後楽園球場」をホームとしました。
(この後、フランチャイズ制は1952年より正式導入されることになります。)
1949~1953年 東急フライヤーズ
- 経営母体:東急
- 運営会社名:株式会社東急ベースボール倶楽部
- 本拠地:後楽園球場→駒沢球場(東京都世田谷区)
大映野球がフライヤーズの経営から撤退したため、元の「東急フライヤーズ」に戻ります。同時に大映野球は「大映ユニオンズ」を立ち上げますが、その後、1958年に「毎日オリオンズ」(現ロッテの前身)に吸収合併されることになります。
1953年秋には、東急による自前の「駒沢野球場」が完成。本拠地を移転します。
1954~1972年 東映フライヤーズ
- 経営母体:東急
- 運営会社名:東映興業株式会社・東急ベースボール倶楽部
- 本拠地:駒沢野球場(東京都世田谷区)→明治神宮球場(東京都新宿区)→後楽園球場
当時東急の傍系企業だった「東映」に球団経営が委託され、球団名も「東映フライヤーズ」に改称。
本拠地としていた駒沢球場は、東京オリンピック開催との兼ね合いで取り壊されることになり、1962年シーズンをもって閉鎖。(現在では「駒沢オリンピック広場」となっているそうです。)
本拠地を失ったフライヤーズは「明治神宮球場」を仮の本拠地としますが、「国鉄スワローズ」が神宮球場を本拠地としてしまったこともあり、結局また後楽園に戻りました。
1973年 日拓ホームフライヤーズ
- 運営会社名:日拓ホーム野球株式会社
- 経営母体:日拓ホーム
- 本拠地:後楽園球場
東急・東映が球団を「日拓ホーム」へ売却し、チーム名も「日拓ホームフライヤーズ」に改称。しかしこの日拓ホームによる経営は1年と続かず、翌年には「日本ハム」へ身売りされることになります。
1974~2003年 日本ハムファイターズ
- 経営母体:日本ハム
- 運営会社名:日本ハム球団株式会社
- 本拠地:後楽園球場→東京ドーム(東京都文京区)
ここで我らが日本ハムの登場。心機一転、球団名を「日本ハムファイターズ」とします。(名称は公募で選ばれたそうです。)
本拠地はそのまま後楽園球場としていましたが、1987年をもって後楽園球場が閉鎖されたため、1988年からはその後継球場である「東京ドーム」へ巨人とともに移転しました。
2004年~現在 北海道日本ハムファイターズ
ここで最初の「球団情報」の表に戻ります。拠点を札幌ドームに移し、現在の「北海道日本ハムファイターズ」になったというわけですね。
感想
昔は「東急」が運営していたということに地味に驚きましたが、母体はころころ変わりつつも、大まかにはファイターズの前身は「フライヤーズ」であることが分かりました。
しかしこう見ると、ファイターズって発足以来ずっと東京を拠点としてきた球団なんですね。北海道に拠点を移したことは一大事だったに違いありません。
結果、ファイターズファンでない道民はいないくらいに北海道に受け入れられています。(と思います!)
2019年シーズンは8・9月に不調が続き、残念ながら5位。2020年もまた、残念ながら5位に終わってしまいましたが、来年こそは面白いことになるのではないかと期待しています。
私に野球観戦の楽しさを教えてくれたファイターズ、これからも応援していますよ!
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福岡ソフトバンクホークス
私がファイターズの次に応援しているのは、やはり地元球団のホークス。小さいころからスーパーで買い物中には「若鷹軍団」をエンドレスで聞いてましたから、やはりただならぬ愛着があります。
40年近く福岡に住んでいる母はもちろんホークスファンでして、一緒に野球観戦に行くときはヤフオクドームの「ソフトバンク対日ハム戦」です。
私は大勢のホークスファンに埋もれて、一人で表も裏も応援しますので、大変疲れます(笑)
ところで、ソフトバンクも日ハムも応援時はメガホン(細いやつ)を使う人が圧倒的に多いのですが、球団によっては旗とかタオルとか使いますよね。応援の掛け声や動作も球団によって違ったりして、ホント、野球観戦って面白いです。
2020年のスローガンは「S15 サァイコー!」ということで、甲斐野選手にIKKOさん風にモノマネしてくれと言わんばかりのフレーズですが、ニュースで見た限りでは、イメージ的には「さぁ行こう!」という爽やかな語感なようです(笑)
球団情報(2020年1月14日現在)
運営会社名 | 福岡ソフトバンクホークス株式会社 |
本拠地 | 福岡PayPayドーム(旧ヤフオク!ドーム、福岡県福岡市中央区) |
二軍本拠地 | タマホーム スタジアム筑後(HAWKSベースボールパーク筑後)(福岡県筑後市) |
マスコット | ホークファミリー(ハリー、ハニー、ハック、リック、ホック、ホンキー、ヘレン、ハーキュリー) |
チーム応援歌 | いざゆけ若鷹軍団(歌い出し:「玄界灘の潮風に」) |
監督 | 工藤公康(2015~) |
リーグ優勝 | 21回(1946年、1948年、1951~1953年、1955年、1959年、1961年、1964~1966年、1973年、1999年、2000年、2003年、2010年、2011年、2014年、2015年、2017年、2020年) |
クライマックスシリーズ優勝 | 7回(2011年、2014年、2015年、2017~2020年) |
日本一 | 11回(1959年、1964年、1999年、2003年、2011年、2014年、2015年、2017~2020年) |
運営母体 | ソフトバンクグループ |
※優勝や日本一の実績は、前身球団時のものも含みます。
2020年も日本一、おめでとう!!
でもちょっと強すぎて、途中から巨人を応援しちゃいましたよ(笑)
球団変遷
1938~1943年 南海軍
- 経営母体:南海鉄道
- 運営会社名:南海野球株式会社
- 本拠地:堺大浜球場(現・大浜公園野球場、大阪府堺市)→中百舌鳥球場(大阪府堺市)
「南海鉄道」は大阪の大手私鉄です。現在でも「南海電鉄」として、大阪難波と関空・和歌山市内・高野山を繋いでおり、国内で現存する中でも最も古い私鉄として知られています。
その南海鉄道が「南海軍」を立ち上げる前には「阪神」「阪急」がプロ野球球団を発足させており、南海軍は関西の私鉄球団第3号となりました。
球場について、1939年から新設の「中百舌鳥球場」を本拠地とはしていましたが、公式戦は主に「阪急西宮球場」と「阪神甲子園球場」(いずれも兵庫県西宮市)で行われていたそうです。理由は、中百舌鳥球場の立地条件の悪さだとか。
ちなみに阪急西宮球場は、阪急が自社球団「阪急軍」(後の阪急ブレーブス、現オリックス・バッファローズ)のために自前で建てた球場です。
1944年 近畿日本軍
- 経営母体:近畿日本鉄道(近鉄)(南海鉄道+関西急行鉄道)
- 運営会社名:不明
- 本拠地:中百舌鳥球場
当時の政府の政策により「南海鉄道」と「関西急行鉄道」が合併し、経営母体の企業名が「近畿日本鉄道」となったのに合わせて、球団名も「近畿日本軍」に変わりました。
1946年 近畿グレートリング
※1945年は太平洋戦争の状況悪化により公式戦は行われず。
- 経営母体:おそらく近鉄
- 運営会社名:不明
- 本拠地:中百舌鳥球場
この年の詳しいことは不明なのですが、チーム名を改称したというだけで、経営母体は引き続き近鉄だったのではないかと思われます。
1947~1988年 南海ホークス
- 経営母体:南海電気鉄道
- 運営会社名:不明
- 本拠地:中百舌鳥球場→阪神甲子園球場→大阪スタヂアム(大阪球場、大阪市浪速区)
旧南海鉄道の事業が近鉄から分離し、新生「南海電気鉄道」へ。それを機に、球団の母体も南海電気鉄道へ移行し、球団は再び “南海” を冠とします。ここで初めてチーム名に「ホークス」が登場!
近鉄のほうはこの後、「大阪近鉄バファローズ」の前身球団である「近鉄パールス」のスポンサーになります。
(近鉄バファローズは2004年に「オリックス・ブルーウェーブ」に吸収合併され、現在は事実上消滅。)
※1949年、これまでひとつだった「日本野球連盟」がセントラル・リーグとパシフィック・リーグに分裂し、「日本野球機構(NPB)」が誕生。
1950年からは、自前の新球場「大阪スタヂアム」を本拠地とします。大阪スタヂアムは「大阪球場」、「なんば球場」とも呼ばれ、以降長きに渡って府民に親しまれることになります。(その跡地は現在「なんばパークス」になっています。)
1989~2004年 福岡ダイエーホークス
- 経営母体:ダイエー
- 運営会社名:福岡ダイエーホークス
- 本拠地:平和台球場(福岡市中央区) →福岡ドーム(現福岡PayPayドーム)
多額の赤字を抱えつつも南海ホークスを手放すことを拒み続けてきたオーナー・川勝氏の死去後、ホークスは「ダイエー」に売却され、新たな本拠地を九州・福岡に。大阪に別れを告げることになります。
移転先の「平和台球場」は、ホークス転入の10年前まで「西鉄ライオンズ」(現埼玉西武ライオンズ)が本拠地としていた球場でした。
1993年、アジア太平等博覧会(よかトピア)の跡地に新設された自前球場「福岡ドーム」へ本拠地を移転。平和台球場は、いろいろあって現在では「鴻臚館(こうろかん)跡」という史跡公園となっています。
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2005年~現在 福岡ソフトバンクホークス
2004年、経営不振により立ち行かなくなったダイエーからソフトバンクが球団を買収。キャラクターや応援歌の変更を最低限にとどめるかたちで、現在の「福岡ソフトバンクホークス」へと生まれ変わりました。
▼ 2020.2.29追記
2020シーズンより、本拠地・ヤフオク!ドームは「福岡PayPayドーム」へ改称されました。
感想
ホークスには戦前からの長い歴史があるということが分かりました。戦力低下の原因が太平洋戦争の応召や病死だったり、シベリアから復員で戦力が復活したり、時代背景が今と違い過ぎて衝撃を受けました。
つらい時代に、野球がどれだけ人々の楽しみだったのか、ホークスの歴史を通して少しだけ垣間見た気がします。
また、ホークスって福岡に来る前まではずっと近畿、特に大阪を拠点としていた球団だったんですね。70を過ぎた母が今でも「南海ホークス」の名を口に出したりしますが、ホークスといえば“南海”と“大阪”として、多くの人々の記憶に刻まれているのでしょう。
とはいえ、福岡に移転して昨年(2019年)で30周年ですからね。これからも福岡の、九州のエースとしてばんばん優勝目指していって欲しいです!
埼玉西武ライオンズ
ライオンズは、日ハムにとってもソフトバンクにとっても敵なので憎たらしくもあるのですが(すみません)、素直にかっこいいんですよね。打線が好調なときはもう、逆に楽しくなるほどの大量点を一気に取ったりしてくれるし。
ベンチにいるときの辻監督の“仏頂面”を初めて見たときは、怖そうだなぁ~…と思ったものですが、選手たちの伸び伸びとした雰囲気を見るに、包容力のある素敵な監督なんだろうと思うようになりました。(※勝手な想像です。)
胸にかっこいい字体で“Saitama”って書いてあるあたりも、ファイターズの“Hokkaido”に通じるところがあって、何だか憎めません。
応援の掛け声の「打てーーーー」っていうのが聞こえてくると、ライオンズ戦なんだなぁ、と実感します。気付けば一緒に歌ってたりして。
2020年からは秋山選手が海を渡り、シンシナティ・レッズで背番号「4」になるんだそうで、その活躍も楽しみですね!
球団情報(2019年10月24日現在)
運営会社名 | 株式会社西武ライオンズ |
本拠地 | メットライフドーム(埼玉県所沢市) |
二軍本拠地 | 西武第二球場(埼玉県所沢市、メットライフドーム隣接) |
マスコット | レオ、ライナ |
チーム応援歌 | 吠えろライオンズ(歌い出し:「吠えろライオン、かっ飛ばせライオン」) |
監督 | 辻発彦(2017~) |
リーグ優勝 | 23回(1954年、1956年~1958年、1963年、1982年、1983年、1985年~1988年、1990年~1994年、1997年、1998年、2002年、2004年、2008年、2018年、2019年) |
クライマックスシリーズ優勝 | 1回(2008年) |
日本一 | 13回(1956年~1958年、1982年、1983年、1986年~1988年、1990年~1992年、2004年、2008年) |
運営母体 | 西武鉄道 |
※優勝や日本一の実績は、前身球団時のものも含みます。
「日本シリーズで13回も優勝しているのに、CS(クライマックス・シリーズ)優勝は1回!? いやいや、CS勝たないと日本シリーズ行けないんじゃ?」と一瞬不思議に思いましたが、CSって比較的近年導入された制度だったようです。それで辻褄が合いました。
やれやれ、これだから初心者は…(笑)
球団変遷
1950年 西鉄クリッパース
- 経営母体:西日本鉄道(西鉄)
- 運営会社名:西鉄野球株式会社
- 本拠地:平和台球場(福岡市中央区)
戦時中には「西鉄軍」を、戦後になってからもアマチュア球団を保有していた福岡の大手私鉄「西日本鉄道」が「西鉄クリッパース」を結成し、パ・リーグに加盟します。
同時期には「西日本新聞社」が同じく福岡で「西日本パイレーツ」を立ち上げ、こちらはセ・リーグに加盟します。
1951~1972年 西鉄ライオンズ
- 経営母体:西鉄
- 運営会社名:西鉄野球株式会社
- 本拠地:平和台球場
読売新聞社との不調和などから、発足1年少しでセ・リーグを脱退することになったパイレーツを吸収合併し、チーム名を「西鉄ライオンズ」に改名。その後約21年間の長きに渡ってチーム名を変えることなく、福岡で日本プロ野球界の一角を担い続けます。
1956年に初の日本一を勝ち取り、1957、1958年も3年連続で日本シリーズを制覇。鉄腕・稲尾をはじめとする強力な主力陣を擁した当時のライオンズは「野武士軍団」と評され、黄金期を築き上げました。
1969~1971年の間に発覚した、プロ野球関係者による八百長疑惑に端を発する一連の事件のこと。当時の西鉄の永易投手を中心とする現役選手の八百長行為ならびに金銭の授受、西鉄球団の“口止め行為”などが明らかとなり、ライオンズおよびパ・リーグの人気が急落する原因となりました。
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1973~1976年 太平洋クラブライオンズ
- 経営母体・スポンサー:中村長芳氏、太平洋クラブ
- 運営会社名:福岡野球株式会社
- 本拠地:平和台球場
“黒い霧事件” が尾を引き、球団経営状況の悪化が続いていた西鉄は、ついにライオンズを手放すことになります。ここで球団を買い取ったのは、当時「ロッテオリオンズ」(現ロッテ)のオーナーだった中村氏。資金面強化のためにスポンサー企業と提携するかたちで球団を存続させます。
(このとき中村氏はロッテオリオンズのオーナーを辞任していますので、ロッテとライオンズの球団としての絡みは一切ありません。)
ここでスポンサーとなったのが、ゴルフ場開発の「太平洋クラブ」でした。今で言う“命名権”のようなスタイルで、チーム名が「太平洋クラブライオンズ」となります。
1977~1978年 クラウンライターライオンズ
- 経営母体・スポンサー:中村長芳氏、クラウンガスライター(のちに廣済堂クラウン)、太平洋クラブ
- 運営会社名:福岡野球株式会社
- 本拠地:平和台球場
メインスポンサーが代わり、命名権が太平洋クラブからクラウンに移行。球団名も「クラウンライターライオンズ」に。
1979~2007年 西武ライオンズ
- 経営母体:国土計画(現コクド)
- 運営会社名:株式会社西武ライオンズ
- 本拠地:西武ライオンズ球場(後の西武ドーム、メットライフドーム)
西武鉄道グループの「国土計画」がライオンズを買収したため、発足以来拠点としていた福岡に別れを告げ、埼玉へと拠点を移します。このとき、 “江川事件” が大きな話題になりました。(母曰く、 “ズルいようなやり方で巨人が江川を獲得した” 事件だそうです。)
新たな本拠地となった「西武ライオンズ球場」は、以前「西武園球場」と呼ばれていた小さな球場を改装して造られた新球場でした。(当時はまだ屋根はなく、ドーム化するのは1999年のことになります。)
2008年~現在 埼玉西武ライオンズ
この後ライオンズは着実に埼玉へ根付き、さらなる地域密着を図るため、球団名を今の「埼玉西武ライオンズ」へと改名します。以後ずっと本拠地を変えることなく “埼玉のライオンズ” であり続けています。
感想
西武といえば「レオ」。深く考えたことはありませんでしたが、あの『ジャングル大帝』のレオなんですよね。(西武ファンの方には、何を今さらと言われるでしょうけれど。)
あの手塚治虫さんがご存命だったころに、本人からキャラクター使用を許された球団。すごいです。
そして、西武がもともとは福岡で発足した球団だったということ、埼玉に拠点を移して40年が経つということが分かりました。
福岡人にとって「西鉄」はかなり身近な企業ですので、今となってはその西鉄が球団を持っていたことへの想像がつきません。
“黒い霧事件” についても、当時どれだけ注目されたんだろうと思うと、ちょっと言葉をなくす感じです。事件を受けて主力選手がごそっと辞め、戦力も人気もがた落ちし、身から出た錆とはいえ、さぞかし暗黒期だっただろうな…と暗い気持ちになったり。
だからこそ、今の埼玉の西武が元気でいてくれて、一福岡市民としてもうれしい限りです。
2018、2019とリーグ優勝が続くも、CSで悔しい思いをしているライオンズ。2020年シーズンは残念ながら優勝には届きませんでしたが、楽天を抜かす勢いには胸が熱くなりました!
2021年はどうなるのか、今から楽しみです☺
東北楽天ゴールデンイーグルス
イーグルスといえば、プロ野球初心者かつファイターズファンの私がぱっと思い浮かべるのが辛島、そして銀二、ブラッシュ、浅村。なんか、コテンパンにやられるイメージがあります。
それから、楽天生命パークがすてきですよね! 変に気取ってなくて、観覧車とかメリーゴーランドとかもあって、開放的で楽しい感じがします。
でも、虫が多いのは気のせいでしょうか。バッターボックス付近の映像でいつも飛んでいるのが見えるのですが……単にライトの加減によるものかもしれませんね。
それはいいとして、私は楽天の応援歌が大好きです。なんというか、朗らかで力強くて。一緒に「がんばれ!」って歌いたくなりますし、「羽ばたけ命、ある限り」の音程が上がるところでは何故か泣きそうになります。聞けば聞くほど涙まで誘う名曲だと思うのは、私だけではないはず!
応援の「こーこでー打てー」も大好きです。
実は私、2019年のCS第1戦をヤフオクドームで観まして、応援歌も「こーこでー打てー」も、念願の生で聞くことができたんです! 楽天ファンは広い球場の中の一角にしかいなかったわけですが、声が本当にびっくりするくらい大きくて、イーグルスへの愛を感じましたよ。
ソフトバンクがCSの2ndステージでライオンズ相手にあれだけの勢いを持って行けたのは、1stステージで接戦を繰り広げた楽天のおかげだったと思っています。
球団情報(2019年10月24日現在)
運営会社名 | 株式会社楽天野球団 |
本拠地 | 楽天生命パーク宮城(仙台市宮城野区) |
二軍本拠地 | 利府町中央公園野球場(宮城県宮城郡利府町)、楽天イーグルス泉練習場(宮城県仙台市泉区) |
マスコット | クラッチ、クラッチーナ、スイッチ |
チーム応援歌 | 羽ばたけ楽天イーグルス(歌い出し:「がんばれ、がんばれ、楽天! 白銀の夢から醒める花」) |
監督 | 平石洋介(2018~2019) 三木肇(2020~) 石井一久(2021~) |
リーグ優勝 | 1回(2013年) |
クライマックスシリーズ優勝 | 1回(2013年) |
日本一 | 1回(2013年) |
運営母体 | 楽天 |
球団変遷
2004年の設立以来ずっと「東北楽天ゴールデンイーグルス」です。
本拠地「宮城球場」は、元は1950年開場の古い球場だったところを楽天の出資によって増改築され、「フルキャストスタジアム宮城」(2005~2007年)、「クリネックススタジアム宮城」(2008~2013)、「楽天Koboスタジアム宮城」(2014~2017)を経て、現「楽天生命パーク宮城」の名称へと落ち着きました。
感想
楽天が、2004年にパ・リーグに参入した新規球団だということが分かりました。近鉄バファローズがオリックスと合併したときですね。
しかも、東北を拠点とする初めてのプロ野球球団です。
北海道にとってのファイターズ同様、今まで関東か西日本にしかなかったプロ野球球団の本拠地の幅を広げ、地域性を高める見事な役目を果たしていますよね! 東北の方々にとっては我が子のような特別な存在なのかもしれません。
物理的拠点は仙台ですが、広く「東北」としているところがまたいいですね。
リーグ、CS、日本シリーズと全て優勝した2013年の盛り上がりは想像するに難くないですが、それ以外に優勝歴がないのがさみしいところ。近いうちにぜひ、まずはリーグ優勝を目指して、東北を歓喜の渦に巻き込んで欲しいです!
千葉ロッテマリーンズ
日ハムファンの私にとってロッテといえば、レアード。打順が回ってきたときに、応援したいような打たないでほしいような、複雑な気持ちになります。前は札幌で寿司握ってくれてたのにな!
それから、応援にメロディが溢れているのも、みんなピョンピョン飛び跳ねるのも“ロッテ”って感じです。
実は、ここからの2球団は土地的に私とあまり接点がないせいか、どうも馴染みがないんですよね…。もっと親しみを持てるように、ここでしっかり勉強したいと思います!
その前に、ひとつ疑問に思っていることがあるのですが、「謎の魚」って人気なんですか? って言ってること自体、既に術中にはまっているんでしょうけれど、いろいろ謎です。
ソフトバンクの福田選手、楽天の美馬投手も移籍しましたし、ドラフト1位の佐々木朗希投手もロッテに決まりましたし、他にもいろいろ、これからのロッテは面白くなる! ととても楽しみにしています。
2020年、面白かったですね~! 正直、あんなに移籍組が活躍するとは思っていませんでした。
次こそ王者ホークスを引きずり下ろせるか、来年も楽しみですね!
球団情報(2019年10月24日現在)
運営会社名 | 株式会社千葉ロッテマリーンズ |
本拠地 | ZOZOマリンスタジアム(千葉市美浜区) |
二軍本拠地 | ロッテ浦和球場(さいたま市南区) |
マスコット | マーくん、リーンちゃん、ズーちゃん、謎の魚 |
チーム応援歌 | We Love Marines(歌い出し:「勝利の喜びは大波となって」) |
監督 | 井口資仁(2017~) |
リーグ優勝 | 5回(1950年、1960年、1970年、1974年、2005年) |
クライマックスシリーズ優勝 | 1回(2010年) |
日本一 | 4回(1950年、1974年、2005年、2010年) |
運営母体 | ロッテホールティングス |
※優勝や日本一の実績は、前身球団時のものも含みます。
球団変遷
1950~1957年 毎日オリオンズ
- 経営母体:毎日新聞社
- 運営会社名:毎日球団
- 本拠地:後楽園球場
戦前に存在していた「大阪毎日野球団」を発展させるようなかたちで1949年に発足。ちょうど日本野球連盟が拡大して「セ」と「パ」に別れる、というときに加盟しました。
このとき、読売新聞社(ジャイアンツ)と中部日本新聞社(ドラゴンズ)からセ・リーグに入れてもらえなかったという裏話もあり、パ・リーグのほうに加盟。
活動1年目にして、初めて開催された日本シリーズで優勝するという快挙を成し遂げます。
1958~1963年 毎日大映オリオンズ(大毎オリオンズ)
- 経営母体:毎日新聞社・大映
- 運営会社名:毎日大映球団
- 本拠地:後楽園球場→東京スタジアム(東京都荒川区)
以前「急映フライヤーズ」(現日ハム)の経営に1年のみ参加していたことのある「大映」が結成・運営していた「大映ユニオンズ」と合併し、チーム名を「毎日大映オリオンズ」に改称。本拠地は引き続き後楽園球場としていましたが、1962年、大映側によって新設された球場「東京スタジアム(東京球場)」へ移転しました。
1964~1968年 東京オリオンズ
- 経営母体:毎日新聞社・大映→大映のみ
- 運営会社名:毎日大映球団
- 本拠地:東京スタジアム
元々主導権を握っていた大映側の独断状態でチーム名を「東京オリオンズ」に変えてしまい、結果、1965年から徐々に「毎日新聞社」が経営から手を引くことに。
1969~1991年 ロッテオリオンズ
- 経営母体:大映・ロッテ→ロッテのみ
- 運営会社名:毎日大映球団→ロッテオリオンズ
- 本拠地:東京スタジアム→宮城球場(仙台市宮城野区、現楽天生命パーク球場)など→川崎球場(川崎市川崎区、現川崎富士見球場)
ロッテが球団のスポンサーとなり、チーム名が「ロッテオリオンズ」となります。その後、1971年に大映側が球団経営から完全に撤退し、経営母体・運営会社ともにロッテ一社によって行われることに。
1962年から本拠地としていた「東京スタジアム」は、1972年に経営赤字を理由に閉鎖。以後、1978年に神奈川県の「川崎球場」を正式な本拠地とするまでの間、ロッテは確固とした本拠地のないまま、仙台や関東圏を渡り歩く時期を過ごします。
東京球場を出てからの5年間、本拠地の定まらなかったロッテをジプシーに例え、世間ではロッテのことを面白おかしく”ジプシー球団”と呼んだりもしたそうです。
この期間に転々と使用した球場には「宮城球場」、「後楽園球場」、「明治神宮球場」、「川崎球場」があります。
川崎球場に正式転入してからは、保護地域を神奈川県とします。
1992年~現在 千葉ロッテマリーンズ
1992年シーズンからは本拠地を千葉県に移し、「千葉マリンスタジアム」(現ZOZOマリンスタジアム)へ移転。同時に球団名を、一般公募により「千葉ロッテマリーンズ」へと改称します。
以後、現在まで本拠地および球団名には変わりありません。
感想
ロッテの始まりが、毎日新聞社だったとは知りませんでした。また、「マリーンズ」より「オリオンズ」と呼ばれていた年月の方がまだ長いということも意外です。
低迷が続いたりジプシーになったりと苦労球団だった時代もあったようですが、そんな最中にこそ日本一を果たしたりと、“気骨のある球団”というイメージを受けました。苦労した歴史がある分、これからどんどん華々しい結果を残していけるように陰ながら応援してます!
ところで、もしロッテオリオンズが川崎にではなく仙台に根を下していたら、楽天はどこに発足していたんでしょうね。その場合、そもそも楽天は誕生しなかったかも?
オリックス・バファローズ
正直に言うと、私にとってオリックスは、パ・リーグ6球団の中でも一番よく知らない球団です。金子投手の古巣、っていうことは一応知ってますが…。
野茂が活躍した「近鉄バッファローズ」と、イチローが活躍した「オリックス・ブルーウェーブ」が混ざったの? いつ? というくらいの初心者ぶりです。すみません…。
でも、ユニフォームや球団のイメージは、オリックスが一番スタイリッシュでカッコイイと思います! 球団応援歌も、パリーグ6球団の中では楽天の次に好きです。気付いたら「すべてを掴むために~」って口ずさんでるくらい(笑)
“オリボード”なるものの存在を最近知ったので、日ハム VS オリックス戦がテレビで放送され、観客席が映されるのを楽しみに待っているところです。
素晴らしい投手・打者もいるのになぜ! なぜまたBクラス! と、ファンでなくても悔しい気持ちになった2019年に続き、2020年もまた悔しい結果となりましたね…。
日ハムもそうですが、「ま、それが定位置だしね」と言われないように、何とかがんばって抜け出してほしいものです。
球団情報(2019年10月24日現在)
運営会社名 | オリックス野球クラブ株式会社 |
本拠地 | 京セラドーム大阪(大阪市西区) |
二軍本拠地 | 舞洲ベースボールスタジアム、舞洲サブ球場(大阪市此花区) |
マスコット | バファローブル、バファローベル |
チーム応援歌 | SKY(歌い出し:「君の声よ遥か届け」) |
監督 | 西村徳文(2019~2020.8.20) 中嶋聡(2020.8.21~) |
リーグ優勝 | 12回(1967年~1969年、1971年、1972年、1975年~1978年、1984年、1995年、1996年) |
クライマックスシリーズ優勝 | なし(出場は2008と2014の2回) |
日本一 | 4回(1975年~1977年、1996年) |
運営母体 | オリックス |
※優勝や日本一の実績は、前身球団時のものも含みます。
球団変遷
1936~1946年 阪急職業野球団(阪急軍)
- 経営母体:阪神急行電鉄(阪急)→京阪神急行電鉄(阪急+京阪電気鉄道)
- 運営会社名:大阪阪急野球協会
- 本拠地:宝塚球場→阪急西宮球場(兵庫県西宮市、現阪急西宮ガーデンズ)
戦前の1936年、「阪神急行電鉄」(のちの阪急電鉄株式会社)によって発足。元々野球業界発展の可能性を見出していた同電鉄の創業者・小林氏が、同時期に発足した読売新聞社の「大日本東京野球倶楽部」や阪神電気鉄道の「大阪タイガース」に負けじと結成したといわれています。
発足の翌年から本拠地とした「阪急西宮球場」は、阪急が自前で新設した当時にして最先端の多目的スタジアムで、当時タイガースが本拠地としていた「阪神甲子園球場」から北にわずか2kmほどのところにありました。
1943年、戦時中に施行された「陸上交通事業調整法」により「京阪電気鉄道」と合併し、 経営母体の企業名が「京阪神急行電鉄」に変わっています。
1947年 阪急ベアーズ
- 経営母体:京阪神急行電鉄
- 運営会社名:大阪阪急野球協会
- 本拠地:阪急西宮球場
ここで一瞬チーム名を「阪急ベアーズ」に変えますが、ただちょっと変えてみただけのようで、経営母体や本拠地に変化はありません。
1947~1988年 阪急ブレーブス
- 経営母体:京阪神急行電鉄→阪急電鉄
- 運営会社名:大阪阪急野球協会→株式会社阪急野球倶楽部→株式会社阪急ブレーブス
- 本拠地:阪急西宮球場
1947年から球団名は「阪急ブレーブス」に。1950年の日本野球連盟の2リーグ制導入に伴い、「東急フライヤーズ」や「南海ホークス」とともにパ・リーグに加入します。
1949年、陸上交通事業調整法により阪急と合併していた京阪電気鉄道が再び分離したため、球団の経営母体は再び「阪急電鉄」のみとなります。
それから1988年までの長い間、運営会社名に変更はありますが、それ以外は変わることなく、10度のリーグ優勝を勝ち取るなど、ホークスやライオンズに勝るとも劣らない活躍を続けていきます。
1989~1990年 オリックス・ブレーブス
- 経営母体:オリエント・リース(のちにオリックス)
- 運営会社名:オリックス・ブレーブス株式会社
- 本拠地:阪急西宮球場
奇しくも南海ホークスがダイエーに買収され「福岡ダイエーホークス」になったのと同じ年に、阪急ブレーブスもオリックス(当時は「オリエント・リース」)に身売りされ、「オリックス・ブレーブス」になりました。
本拠地にはそのまま阪急西宮球場を使用しましたが、ユニバーシアード神戸大会のために1988年に完成したばかりだった「グリーンスタジアム神戸」(現ほっともっとフィールド神戸)も準本拠地として使い始めます。
1991~2004年 オリックス・ブルーウェーブ
- 経営母体:オリックス
- 運営会社名:オリックス野球クラブ株式会社
- 本拠地:グリーンスタジアム神戸(神戸市須磨区、現ほっともっとフィールド神戸)
1937年からずっと本拠地としていた西宮球場を離れ、既に準本拠地としても使用していた神戸に移転。それに伴い、球団名も「オリックス・ブルーウェーブ」へと一新します。
90年代はイチローが大フィーバーを巻き起こします。また、1995年の「阪神淡路大震災」の際は、つらい時期にある神戸の街と市民を野球で励ましました。
2005年~現在 オリックス・バッファローズ
ブルーウェーブは2005年から「近鉄バファローズ」と合併し、球団名を現在の「オリックス・バファローズ」へ名称変更します。同時に、近鉄バファローズは球団の歴史に幕を閉じました。
本拠地に関しても、3年間のダブルフランチャイズ制を経て、2008年からは正式に一軍本拠地は大阪となっています。
2011年にはロゴやマスコットなどを一新する改造計画を行い心機一転、阪急や近鉄のイメージも払拭して“新生オリックス”へと生まれ変わりました。
感想
ここまで6球団の変遷を調べてきて、オリックスはパ・リーグの中で唯一、設立から50年以上もの間、同じ企業(阪急)が関わり続けた経歴のある球団だということが分かりました。拠点も、阪急軍設立の1936年から2007年までは一貫して兵庫県でした。
これはすごいことなのではないでしょうか。
また、実は現在のパ・リーグ6球団の中で一番長い歴史を持つ球団であることも分かりました。次いで存続期間が長いのは現ホークスです。この2球団は、「阪急軍」「南海軍」の時代から、阪急ブレーブス vs 南海ホークスの時代を経て、今もなお同じリーグで戦い続けているということですね。なんか感動です。
個人的には、ブレーブスという呼称が消えてしまったことはとても残念。いくら球団史を引き継いではいても、呼称も母体も拠点も変わってしまっては、全くの別球団のようです。(それはファイターズも同じですけれども。)
そう考えると、ホークスやライオンズのように、経営母体は変わっても親しまれた愛称を大事にし続けるのって素敵だなと思います。ロッテはオリオンズからマリーンズへ改称こそしましたが、移行期に“ロッテ”というネーミングで繋がっていたため、ショックも少なく改名できた成功例ではないでしょうか。
経営母体が変わること、球団名が変わることについて、他球団にも増して感じるところのあったオリックスの変遷でした。
おわりに
ここまで、パ・リーグ6球団の球団名、経営母体、本拠地の変遷などをまとめてきましたが、いかがでしたか?
古い時代の、聞きなれない会社名や球場名と格闘しながら私が思ったことは、1936年に日本野球連盟が発足して以来、プロ野球球団を保有するということは、企業にとっては「ステータス証明の手段」でもあり続けてきたんだろうな、ということです。
特に、関西・関東で力を持っていた企業が球団をめぐって錯綜し合っており、発展期の日本の歩みそのものを物語っていたようにも感じます。そんな中、九州の福岡が意外にもプロ野球史に登場するのは、アジアへの玄関口として大きな発展を目指してきた時代があったからでしょうか。
とにかく、私のような初心者がまとめるには、とんでもない内容でした…。頭を振り絞って全力を尽くしましたが、細かいところで思い違いがあったり、記載漏れがあったりした場合は何卒ご容赦くださいませ。
試合を見ていると、確かに試合自体には球団の歴史は関係ないものですが、野球は時代とともに歩み続け、ファンのためのスポーツでもあり続けたわけですから、やはり歴史は切っても切れないものなのかなと感じます。
いつか気が向いたらまた、今度はセ・リーグについても調べてみたいと思います!
最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。みなさんのチームのご健闘を祈って締めくくりとします。
ではまた☺ Polly