JR+徒歩で!田原坂公園訪問レポート―西南の役に思いを馳せる一日[熊本市]




※このページは2ページ目です。

田原坂公園内の様子(つづき)

自然の森

次は、パノラマガーデンのすぐ奥にある自然散策エリアです。先ほどの案内図に倣った名称は「自然の森」。

私が訪れた日は、数本の桜の木がちょうど満開を迎えていました。

思いは西南の役に飛んだ直後でしたので、「そして時代は流れ…」といった具合で、穏やかな日差しに包まれた平和な光景が一層胸に染みます。

さりげなく設置された散策路をめぐり、いよいよ公園の中心方向へ向かってみることにしましょう。

田原坂公園・自然の森内の散策路

田原坂崇烈碑

この「崇烈碑(すうれつひ)」というのも、気合を入れて説明文を読んでみなければ何のことやら分からないタイプのものですが、一言で言うと、田原坂での激戦の様子や、それに勝利した意義を、官軍の立場から綴った石碑です。

西南戦争の数年後に建立されたもののようです。

田原坂公園・崇烈碑

官軍にとっての“勝利した意義”とは、“もしここで薩軍の北上を食い止めることができていなければ、新政府に不満を持つものが各地で立ち上がりこれに加勢し、禍いは測り知れないものになっただろう”ということ。

傍らの説明案内によるとこの石は、幅1.2m、長さ4.5m、重量は3.6トン(3,600kg)もあり、八代港から田原坂上に運搬するまでに60日を要したんだとか。

幕末から明治維新を経て、いよいよ確実に来たる新時代の幕開けを記念したものでもあるとも言えるでしょうが……もし薩軍が北上することができていたなら、今の日本はどうなっていたでしょうか。

私の浅い知識では、西南戦争をはじめとする士族たちの反乱は、俸禄制度や帯刀といった武士の特権を立て続けに奪っていく明治政府への、元・武士たちの反発。

政府のやり方が早急かつ強引すぎたにせよ、時代の流れとしては、「士族」という特権階級が消えていくのは仕方のないことだったのかもしれません。

しかし、西郷さんなら不平士族たちもうまくまとめつつ、歴史とは違った形で民主主義国家を築いたのかも、などと想像してみると、薩軍が破れたことは確かに時代の大きな分岐点だったに違いありません。

三ノ坂(遠景)

崇烈碑のすぐ右横には、「三ノ坂」を離れたところから眺めることができるスポットがあります。歴史ファン必見。

「正面に見えるのが田原坂です」

「えっ、正面ってどこ?!」と、私なぞはしばし景色と睨めっこをしてしまいましたが、あの白い車の走っている道が「三ノ坂」です。

後で歩いてみて確認しましたので、間違いありません(笑)

あの車の少し奥には「三ノ坂」と書かれた看板や石碑などがあり、ここから徒歩5分ほどで行くことができますので、時間に余裕があれば歩いてみることをおすすめします。(ご興味があれば、ですけどね。)

眺めも良いですし、いい記念になると思います。

熊本市田原坂三の坂看板付近からの眺め
三ノ坂からの眺望

美少年の像・大楠

お次は、西南戦争当時からここに立っているという立派な大楠の姿と、さらにその傍らに在る「美少年像」と呼ばれるモニュメントです。

田原坂公園・大楠と美少年像

なぜ美少年なのかというと、熊本民謡「田原坂(豪傑節)」の歌詞からきているものと思われます。

雨は降る降る陣羽(人馬)は濡れる 越すに越されぬ田原坂

右手に血刀 左手に手綱 馬上豊かな美少年

私のアラセブの母(熊本市出身)に「雨は降る降る…」と声を掛けると、続きをメロディ付きで歌い出しましたので、やはり熊本の方にはお馴染みの歌であるようです。

田原坂公園・美少年像

「木綿のかすり」かどうかまではこの像からは分かりませんが、確かに「わらじ」を履いているように見えます。そして、「右手に(血)刀」。

西南戦争の起きた明治10年は「廃刀令(帯刀禁止令)」が発布された翌年です。この頃にもなれば、戦いは銃がメインだったと思われますが、こうして“武士らしく”刀を振るった者も数多くいたのでしょうか。

像の土台部分には「この美少年像は、西南の役田原坂の戦いで散った若者たちすべての象徴である」と刻んであり、この場所が単に“史跡”であるだけではなく、たくさんの命が散った場所でもあるんだということを再認識させられます。

田原坂公園・美少年像の土台部分

それにしても、若い頃はこの手の記念碑や説明文なんてろくに見もせず、旅行に行けば自分の身なりや写真写りのほうが気になったものですが(笑)、こんな私でも、歳を取れば変わるものですねぇ。



西南戦役戦没者慰霊之碑

見ようによってはジオラマよりも見ごたえのあるのが、公園の中心に位置する「西南戦役戦没者慰霊之碑」です。

田原坂公園・西南戦役戦没者慰霊之碑

なぜ見ごたえがあるかというと、西南戦争で戦死した人々の氏名が、出身県や地域ごとにずらりと記載されているのです。

田原坂公園・西南戦役戦没者慰霊之碑の芳名板

その数は、案内看板によると「官軍6,923名+薩軍7,186名+殉難者29名=14,138名」。

建設当初の昭和32年(1957年)は8,223名しか刻名されていなかったところを、郷土史家の中村稲男さんという方を中心に、可能な限り手を尽くして不明者分を追加調査されたんだそうです。

そして、その結果を受けての改修工事が完了したのが平成8年(1996年)。40年後にようやく名前が載り、喜んでいる仏さんもいらっしゃることでしょう。

こういった一昔前に成された事業を、それはそれとして手を加えずに“放置”しておくのか、それともこの慰霊塔のように、郷土のこと思って“改修”しながら次世代に引き継いでいくのか、それはひとえに関わる方々の熱い思いによるものですよね。

この戦死者名調査活動については、こちらの記事に詳しく書いてあります。→熊本県公式観光サイト>ふるさと寺子屋>No.044 「 西南の役あれこれ 」

西南の役の慰霊碑は靖国神社や鹿児島にもあるようですが、薩軍も官軍も共に祀られているのはこの田原坂公園だけとのことで(※靖国神社は官軍のみ、鹿児島では薩軍のみ)、敵も味方もなく、ここに刻名された誰もが“変わりゆく時代の犠牲者”であると捉えると、思わず手を合わせたくなります。

西南戦争資料館と弾痕の家(外観)

そんなわけでけっこうしんみりした気分だったわけですが、こういう“顔はめパネル”を見ると、良くも悪くも一気に現代に引き戻されますね(笑)

田原坂西南戦争資料館前の顔はめパネル

これは、「熊本市田原坂西南戦争資料館」の入口付近です。

非常に残念なことに、この日(2020年3月20日)は新型コロナウィルス感染拡大防止のために臨時閉館をしていましたが、本当ならば休館日は年末年始のみで、9時~17時まで開館しているはずでした。(※最終入場は16:30)

熊本市田原坂西南戦争資料館の外観

せっかくこれから春なのに、全国各地でこういった事態になっていることに、「残念」という言葉しか浮かびません。

開館状況は、熊本市による公式ホームページ「熊本市田原坂西南戦争資料館へ行こう!!」で確認できますので、確実に見学したい方は、チェックし続けてみるしかなさそうですね。

同じく「弾痕の家」も臨時閉館中でしたが、こちらは外観を見られただけでも良しとしましょうか。

田原坂公園・弾痕の家の外観

この建物は、西南戦争当時に実在した土蔵を、写真を元に復元したもので、中には日本赤十字社関係の資料が展示してあるんだそうです。

なぜいきなり日赤?と思いますが、説明案内板によると、この田原坂の戦いをきっかけに、「敵味方の区別のない救護を」というコンセプトで「博愛社」という救護団体が誕生し、それがのちに「日本赤十字社」となったんだそうです。

熊本が日赤発祥の地で、しかも西南戦争がその原点だったなんて、知りもしませんでした。つくづく、知らないことに限りはないもんだなぁと実感。

展望台

弾痕の家の横、資料館の向かい側には広々とした展望台があり、これがまた見晴らし最高。断然、おすすめスポットです。

田原坂公園・資料館前の展望台

南南西には高さ680mちょっとの「三ノ岳」が、北西には290mほどの「木葉山」が見えます。

田原坂公園から眺める木葉山
奥に見えるのが木葉山

熊本在住で山登りがお好きな方であれば、一度や二度は登ったことのある山々でしょうか。

標高100m足らずのこの丘からでもこの見晴らしですから、あれらの山々の頂上からは、さぞかし爽快なパノラマビューが広がることでしょうね!

駐車場

公園内の見どころレポートは以上ですが、車で行くという方のために、駐車場の様子もお伝えしておこうと思います。

公園の駐車場は二ヵ所あり、メインとなるのは、おそらく資料館に近い南側のほうです。

南側(資料館側)駐車場

南側駐車場は、Googleマップでは「田原坂公園 駐車場」と表示されています。ご覧の通り、素晴らしい広さ。駐車場の片隅にはトイレ(和式)も完備されていました。

田原坂公園入口

駐車場からこの階段を上がればすぐ、弾痕の家や資料館、展望台のある広場に出ます。田原坂駅から徒歩で正規ルートを来た場合も、こちらの入口から公園に入ることになると思います。

北側(大楠側)駐車場

一方、大楠や美少年像に近いのが、こちらの北側駐車場。Googleマップでは「田原坂古戦場 駐車場」となっています。

資料館側よりははるかに小さいですが、田原坂本道に直面しているので、「三の坂」まで歩いてみようかな、という方はこちらが便利かもしれません。公園内の公衆トイレ(和式)もすぐ目の前です。

ちなみに私は、この駐車場の自販機であたたかい缶コーヒーを買い、手を温めながら三ノ坂まで歩きました。

おわりに

以上、田原坂駅から始まる田原坂公園訪問レポートをお送りいたしました。ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました!

みなさんのお出かけのイメージ作りや何かしらの情報収集に、少しはお役に立つことができたでしょうか?

こんな調子で駅から徒歩で公園まで往復した場合、私の所要時間はちょうど3時間半でした。ただしこれは「資料館見学を含まず」の時間ですので、臨時休館でなければ少なくともプラス1時間はかかっていたと思われます。

私のような“にわか”ではなく、本物の歴史好きの方ならもっとかかったでしょうし、歴史は特に興味ないという方ならお花や景色を見るだけでさらっと済んだかもしれませんし…こればっかりは個人差がありますよね。

とにかく田原坂公園は、自然を楽しむにも良し、歴史に浸るにも良しの、素晴らしいスポットでした!

みなさんも機会があればぜひ、桜やツツジが咲く時期(3月下旬~4月いっぱいくらい)が狙い目かもしれませんよ☺

それでは、よい一日を!

Polly