こんにちは。景勝地観光に加え、史跡観光にもそこそこ興味のあるアラフォー福岡市民、Pollyです。
いつもは専ら車移動なのですが、今回は「青春18きっぷ」での鹿児島旅行の復路だったこともあり、「JR」+「徒歩」での観光レポートとなります。
鹿児島本線「田原坂駅」で下車し、バックパックを背に約2kmの田舎道をてくてくと歩き、かの有名な国内最後の内戦「西南戦争(西南の役)」の古戦場、「田原坂(たばるざか)」へ行ってみました。
明治維新における新政府の施策に不満を募らせた薩摩士族たちによる反乱。明治10年(1877年)2月から約7ヶ月間続き、戦地は熊本・大分・宮崎・鹿児島の4県下に及んだ。中でも最大の激戦地となったのが、現・熊本市北区植木町の田原坂である。
「田原坂の戦い」は17昼夜も続き、その戦死者の数は両軍合わせて約14,000人にものぼったとされる。
薩軍のリーダーとなったのは、征韓論をめぐる対立から政府内の職を辞し、故郷・鹿児島で晴耕雨読の日々を送っていた西郷隆盛。 結果は官軍(政府軍)の勝利に終わり、西郷隆盛は同年9月24日、鹿児島市の城山にてその生涯を終えることとなる。
実はこのところ少し幕末にかぶれており(特に誰が好きというわけではなく、人の動きや時代の流れに興味があり)、旅先の鹿児島でもたっぷり“西郷どん愛”に当てられたてきたところ。
鹿児島から熊本方面に向かうということは、西南戦争における薩軍の進路をなぞるということでもあり、この流れで田原坂に寄らなければ何かが失われる(?)ような気がしたのでした。
そして実際に田原坂に行ってみて、この日(3月20日)が「田原坂の戦い」の17日目、つまり奇しくも死闘の終結日だったということが判明。

本当に知りませんでしたので、ぞわっとしました。という、嘘のようなホントの話です。天気は史実とは異なり、快晴でしたけれど。
それはさておき、当記事では、JR田原坂駅から田原坂公園までの道のり、公園からの素晴らしい眺望、公園の様子などをレポートにしてみたいと思います!
同じく電車で行こうかと考えている方や、田原坂公園がどんな場所なのか興味があるという方々の参考にでもなれば恐悦至極にございます。(幕末風)
※記事内の写真・情報は主に2020年3月20日(祝)時点のものです。
目次
田原坂・田原坂公園の概要
所在地
まずは田原坂と田原坂公園の位置を地図で見てみましょう。

★が「田原坂公園」です。玉名から熊本市中心部へ向かう途中(またはその逆)にあります。
といっても現代では「県道31号線」や「国道208号線」を使うのが主ですので、地元民でなければ、意図せずに通ることはほぼないであろう市道沿いに位置しています。
では、田原坂そのものはどこなのかというと…

赤色の道が実際の「田原坂」。一の坂、二の坂、三の坂(地図上の1、2、3)と登って行った先には高台があり、その高台こそが当時薩軍が陣を敷いたとされる場所、現在の「田原坂公園」(黄色)です。
田原坂は当時としては道幅が広く、南下を目指す官軍(政府軍)が大砲を進めることのできる唯一のルートでした。それを阻止するべく薩軍がここに“守りの要塞”を築き、互いに衝突したのが「田原坂の戦い」だったんですね。
現在の住所としては、いずれも「熊本市北区植木町豊岡」となります。
現在の田原坂
以下、現在の田原坂について、熊本市による資料から抜粋してみます。
田原坂本道
周辺の地形は当時から大きな改変は受けておらず、旧状を比較的よく残している。現在は、長さ約 1,160m、道幅約4m、標高は一ノ坂口 25.9m、三ノ坂上の崇烈碑付近 106.9mで比高差は81mである。いくつかのカーブがあり、途中には昼なお暗き両壁が高い凹道が続く場所もある。
西南戦争遺跡「田原坂」史跡指定に関する意見具申について(PDF資料)
もちろん今では道路が舗装されたりして、1877年当時と全く同じというわけにはいきませんが、地形はほとんど変わっておらず、その形状から当時の様子を垣間見ることができます。

また、田原坂一帯は「金峰山県立公園」および「国指定史跡・西南戦争遺跡」に指定されており、公園内には「西南戦役戦没者慰霊之碑」や「田原坂西南戦争資料館※」、当時実在した土蔵を復元した「戦災の土蔵(弾痕の家)※」、当時の地形および両軍の戦闘布陣をジオラマで再現した「田原坂パノラマガーデン」などが整備されています。
(※2020.3.20現在、コロナウィルス拡大防止のため臨時休館中でした。)
高台にあるだけあって眺望が素晴らしく、桜やツツジの名所でもあるため、歴史好き・西郷どん好きの方はもちろん、そうでない方も十分に楽しめる公園だと思いました。
JR田原坂駅から公園まで
次は、田原坂駅から田原坂公園までの徒歩ルートについてのお話しとなりますが、まず、駅から歩くというのは、おそらく全くメジャーな方法ではありません(笑)
大抵の人はマイカーで行くでしょうし(※公園は無料駐車場完備)、どうせ公共交通機関で行くならば、「産交バス」で208号線沿いに降り立ったほうが断然いいと思います。
なせならば、そのほうが公園までの距離が若干近いですし、一の坂・二の坂・三の坂と、官軍の攻め進んだ道筋を辿ることができるから。その上、「豊岡の眼鏡橋」を見ることもできます。
しかしこの日の私は「青春18きっぷ」。バス代なんて払いたくありません!
というわけでこの章では、駅から公園まで、Googleマップの教えてくれる最短経路通りに歩いてみた、その道中の様子をご紹介してみたいと思います。
ルート
規約上、Googleマップのスクリーンショットをここで載せることができませんので、別のマップで代用してご説明しますと、行先を「田原坂公園」としてGoogleが提案してくる最短ルートは、下図の赤い実線のようになります。

県道31号線経由で「27分・2.1km」、高低差は「67m」。
初めの4分の3は比較的平坦で楽なのですが、残り4分の1で一気に丘を登るため、最後はけっこうハードでした。
しかも後半は道もかなり細く、案内表示も出ていないため、「本当にこの道で合っているんだろうか…?」と不安になるような道のり。

Googleマップはたまにとんでもない“最短ルート”を繰り出してきて、蓋を開けてみれば通行不可だったというようなこともありますからね…。今回は大丈夫でしたけれど。
しかし、歩いてみて気付いたのが、「どうやら正規ルートは別にあるようだ」ということです。それが、上の地図上の赤い点線のルートです。
私はそちらは歩きませんでしたので、何とも比べようがないのですが、点線ルートのほうであれば要所要所で道案内表示も出ていると思われ、Googleルートよりも分かりやすいのかもしれません。
いずれにしても、「七本柿木台場薩軍墓地」を経由したい場合は点線ルート(正規ルート)のほうを選んでくださいね。
田原坂駅の様子
さて、それではここからは、Googleルートでの徒歩旅のスタートです。
まずは気になる「JR田原坂駅」の様子がこちら。
完全無人駅で、小さな駅舎の中にはICカードリーダーとベンチが一脚あるのみでした。
駅周辺を含め、トイレは公園に付くまでは一切ありませんので、心配な方は乗車駅で済ませておくと安心だと思います。
この日私は「18きっぷ」でしたので、何をするでもなくそのまま駅を出ましたが、通常の乗車券をお持ちの場合は、出場口のカードリーダー下部に設置された「きっぷ回収箱」に入れてから出場するシステムのようです。
無人駅と聞くと電車の本数が心配になりますが、熊本と博多を結ぶ鹿児島本線上にある田原坂駅には、1時間に2本ほどは電車が走っていますので、その点は安心ですね!(※JR九州による時刻表はこちら)
道中の風景
駅舎を出た瞬間、この開放感です。

電車が遠ざかり、鳴り響く踏切の音も途絶え、ふいに訪れるしーんとした静けさ。緑や土の香りがふわっと漂います。
初めての土地に降り立つこのワクワク感と緊張感、電車の旅だからこそ味わえる醍醐味かもしれませんね。何気ない景色も特別なものに見えたりして。
春ですねぇ。
駅から350mほど歩くと踏切がありますので、それを越えて県道31号へ出ます。

私は特に鉄道ファンというわけでもないのですが、こういう“田舎の踏切”にはちょっとテンションが上がります。踏切って、絵になるのは何故なんでしょうか。
31号線に出て50mほど歩くと、右手に正規ルートへの分岐点が登場。

この手の案内板は、結局どの方向を指しているのか分かりづらいこともありますが、どうやら右の道を行くと「薩軍墓地」「田原坂」、左の道(31号線)を行くと「木葉駅」ということのようです。
先述の通り、私はGoogleルートを行ってみることにしましたので、この分岐では曲がらず、そのまま31号線を歩き続けました。
550mほど歩いたところで田んぼに挟まれた細い道へ入り、20~30mほどですぐに左折。
後は、T字路に突き当たるまでは道なりに600mほど直進するのですが、途中、31号線側から見えるように設置された「田・原・坂」の3文字を裏から見ることができ、少しだけ得したような気分になれました。

表から見ると、白い和風の字体で書かれたかっこいい看板です。
この看板を越えると、道は田んぼ沿いから民家の間へと入っていき、傾斜がついてくるとともに幅もどんどん狭まっていきます。
どこに行きつくのかと心配になってきたころ、モクレンの咲く角でT字路に到達。
この美しいモクレンが目印になるのは春限定とはなりますが、路地は分かりやすく「T字」に突き当りますので、そこを左へ。
そしてさらに30mほど歩き、右手のヘアピンカーブより台地の斜面に入れば、後は頂上の公園を目指して、みかん畑の中の坂道を一歩一歩登るだけ。

全国有数のスイカの名産地として有名な植木町では、メロンやみかんの栽培もさかんなんだそうです。フルーツの町なんですね。
もし車であれば、「道の駅 すいかの里 植木」へ立ち寄ってみるのがおすすめです。2016年にできたばかりの新しい道の駅で、地元の特産品が盛りだくさん。
4~6月のスイカシーズンには、甘くておいしい、一口サイズの試食が出ていることもあります☺

すっかりスイカが食べたい気分になってしまいましたが、田原坂公園のほうに話を戻しましょう。
足腰をやられそうな急な斜面を登るにつれ、背後には、疲れも吹き飛ぶような絶景。予想外にちょっとした山登り気分まで味わえ、爽快そのものです。


春ですねぇ(二度目)。
頂上付近にはツツジの木がたくさん植わっており、蕾もぼちぼち色を見せ始めていたので、来月(4月)あたりには一面が赤く染まった美しい景色が見られることと思います。

こうして私は公園の北西部(パノラマガーデン付近)に無事到着。写真を撮りながらゆっくり歩きましたので、なんだかんだで片道の所要時間は40分ほどでした。
そんなに歩きたくない!という方は、田原坂駅から公園までタクシーを使うという手もあります。
「植木タクシー」に電話をすれば来てもらえるようですよ。

田原坂公園内の様子
さあ、ここからは晴れてメインイベント・公園内探索!
前の章でも話に出た通り、公園内には西南戦争にまつわる展示やモニュメントが点在しています。

残念ながら、資料館および弾痕の家の内部へは新型コロナウィルス対策の影響で入ることができなかったのですが、それでも「田原坂」の何たるかを知るには十分なボリュームでした。
せっかくですのでここからは、「パノラマガーデン」から時計回りに、公園内各スポットの様子を簡単にご紹介してみたいと思います。
田原坂パノラマガーデン
資料館が臨時閉館していたこの日、個人的に一番見ごたえがあったのがこの「田原坂パノラマガーデン」です。

ネーミングを聞いただけでは正直「なんのこっちゃ」なんですが、実はこれ、当時の地形および両軍の戦闘布陣を再現したジオラマなんですね!
植木町、よくぞこんなハイカラなことをしてくれました。

枯れ木や枯れ枝が放置されているのが若干残念ではありますが、当時の状況をイメージするには十分すぎるほどの、大変素晴らしい展示だと思います。
実際の「田原坂の戦い」では雨が降り続いたんだそうで、熊本県公式観光サイトには以下のような記述があります。
雨は官軍に味方した。薩軍の銃は雨に濡れると不発になる。また、軍服、靴を備えた官軍に、木綿のかすりとわらじ姿の薩軍である。次第に体力を消耗した。
ふるさと寺子屋 No.009 「 西南戦争と田原坂 」
西南戦争関連の記事には薩軍側(西郷さん側)に同情的な視点のものが多いのですが、薩軍にしても官軍にしても、まだまだ寒さの残る中、泥にまみれた厳しい戦いであったことが窺えます。
はるか143年前とはいえ、たった143年前。「時代が何世代前かを計算」によると、わずか4世代前のこととなるようです。
アラフォーの私には、高祖父母の世代(祖父母の祖父母)ということ。意外とそう遠くもないんですね。